工兵ノート「調子はどうだ」 -22ページ目

工兵ノート「調子はどうだ」

広島アラサー会社員。AB型男性。
たまに書きます。TwitterとかFacebookとかにこぼれたことを。
倒置法です。

曲作りがすっかり滞っている。

なんも考えんと、難しいこと考えんと、ぴゃーっと作っちゃうのに限るのだけど。
音楽的な理屈とか、ライブ映えするかとか、そのへんのことをつい考えてしまう。
下手っぴのクセに偉そうに!

基本的に、曲の卵になるもの=アウトプットしたくなる日常の気づきが、何となく憂鬱なことから生まれることが多く。。。

つってもそれはあまり問題じゃないのだけど。

ってのは「もう少しだけ銭がほしい」という曲がありまして、この曲も金の無さに憂鬱になって作って、表現としてはたまたまポップに仕上がってしまったという曲です。
周りの人で褒めてくれる方が多く、本当に作れて良かった!と思っている今日この頃ですが、一方で、「で次どーしよ!?こんな感じなのばっかり作った方がええんかな!?」という感じになっていたりしてます。

でもとにかくなんも考えんと、難しいこと考えんと、ぴゃーっと作っちゃってから、ボツにするなり採用するなりすればいいだよなー。

「ぴゃーっと作っちゃう」のいいところは、ウソがない感じで作れるところ。

自分の曲と称して人前で歌うからには、やっぱりウソがあってはいかぬ。と思っている。

「ウソない」、というのは、内容が事実である・フィクションじゃないという意味じゃない。
そういうのとは違う次元のように考えてまして、
ちょっとした言い回しとか、語感とか、節回しとか、コード進行とかが、自分の感じになっているか=自分の直感、テンション、波長、ニュアンス、心持ち、温度感などに正直か、というのを気にしていきたいと思っております。

なので、内容的にフィクションでも表現次第で魂のリアルは表現できると思うし、
たとえノンフィクションの内容でも表現次第でウソの曲にもなると思う。

やっぱり僕は、それを「ココロのチ◯ポ」と言いたくなっちゃう。人には咎められたけど。
ライブというのは、それを心技体で表現するところかと。

それは自己満足を垂れ流すということではない。
「こっちがココロ開かないと、相手も開いてくれないよ」みたいな対人関係上のアドバイスがよくあるけども、それと同じで、
「ココロのチ◯ポ」でもってコミュニケーションができるかどうか勝負する。
表現ってそれっきゃないやろ!と、思っちゃう。
勝負なんだよ!やっぱり!勝負しないと意味あらしまへんやろ!


そんなんええからはよ曲作ったらええやんけ。
と思いながらも、
そんなん考えてしまったので、取り急ぎ書き留めておくまで。
モスのロースカツバーガーにも当たりハズレがあるのだらうか。
今日はそんなに美味しいと思えなかった。

はたまた慣れてしまったのか。

慣れなんて、怖いな。
気を付けようがない。
気付いてもコントロールできない。

何億光年輝く星にも寿命があると教えてくれたのは百恵ちゃんでした。

ついでに作曲が宇崎竜童ということも教えてくれましたね。

Thank you for your tenderness.

tendernessの意味が、今、知りたひ。

かしこ。
腹が張って、全然お腹減らず、
気分良くないので、今日は帰らう。


何故に生計がギリギリ成り立ってない自分が飽食するほどの暮らしぶりを送っているだろう。

何故に生計を破綻させてまで、お付き合いで飲んでいるのだろう。

こんなご時世に。

と、たまに虚しくなる。
それもまたよしや。
これ、いわば「時代の気分」ってやつか。

いつだって、誰だって、普通に生きてりゃ、「時代の気分」というものに多少なりとも、無意識にでも、感化されて生活していると思う。

震災以降、いよいよ意識化されやすくなってきた。
つまり今の時代の気分ってやつは、

「リセットしようぜ」
「リブートしようぜ」
「世直ししようぜ」

じゃないかな。
今日、ついにそれがはっきりと顕在化したのを目撃した。

斉藤和義の「ずっとウソだった」、だ。

しびれっぱなしだった。
まるで伊坂幸太郎の小説のように、気分がスカっとするテロルだった。
最高だと思った。

音楽で世の中は変わらないけど、
音楽は世の中を変えようという人を生み出す。