この国で生活していると、「チンチョン」という言葉でよくからかわれる。
これはアジア人を蔑視する言葉であり、決して気軽に発していいモノではない。
私は、根本的にケニア人のことは好きだが、見知らぬケニア人からこの言葉を言われると、当然ながらいい気はしない。
特に田舎では、この言葉が差別用語であることを知らないどころか、アジア人に対する挨拶表現だと勘違いしている人すら一定数いる。
挨拶だと思っている人に関しては、もうどうにもできないので、悪意のなさそうな“語気”のチンチョンは、もはや気にもならない。
そんなケニア在住歴1年半の私に起きた、先週末の話。
マタツ(乗合バス)に乗っていると、警察が道路脇に立っていて、通り過ぎる車両からお金(通行手形代わりのワイロ)を徴収するのは、ケニアでは当たり前の光景だ。
その日も例によって、警察の姿を確認したマタツが、スピードを緩めて警察に近づき、窓越しにコッソリ(誰もがワイロだとわかっているにも関わらず)お金を手渡した。
そして次の瞬間、車内にいる私を見つけた警察が、馬鹿でかい声で「チンチョーンチンチョーン!!」と大絶叫する。
警察が堂々と差別用語叫ぶのかよ!!
私の表情は一瞬にして、金剛力士像のツラに般若のお面を乗じたような、慟哭と苦悶と激憤と怨念に満ち溢れ、今にも大地に大穴を開けんばかりの怒りで、静かにそして虚しく震える。
そんな私からガンガン放たれる負のオーラをすかさず察知した隣席の兄ちゃんが、咄嗟に声をかけてくれる。
「まあまあ気にしないで!アンタさっき俺らにスワヒリ語とルオ語で挨拶してくれただろ。だからアンタは俺らのラフィキ(スワヒリ語で友達)なんだよ!だから大丈夫!」
隣りのオバちゃんもウンウン頷きながら話を聞いている。
湿りに湿った私のやさぐれギザギザハートは、一瞬にしてぶっ生き返る。
こうゆう言葉を普通にかけてくれるんだよなあ、ケニア人って。
平気で差別ワードを言う人もいれば、これまた平気で見知らぬガイジンに優しい言葉をかけてくれる人もいる。
この国にいると、とにかく感情の起伏が激しくなる。
が、それはやはり彼らの素直な国民性の影響なんだと思う。
このストレートさは、日本で生活しているとなかなか味わえない。
湧き出る感情に素直に生きることは、良し悪しはあるが、何だか潔くて気持ちいいものだ。
「チンチョン」発言の正当化はできないが、私が彼らの優しさに支えられてこの国で生きていることもまた、大きな事実である。
わずか数秒の出来事であった。
が、この一瞬に、この国でこの国の人々とともに「生きる」ことを示す、あらゆるエッセンスが詰まっている。
こんな思いが日々できる協力隊の日常は、「もののあはれ」で満たされた尊い経験であると、心から感じた週末の出来事。
Kohei