何の因果か、瀧廉太郎先生の御命日に生まれた小生。
毎年畏れ多いと感じながらも、実は予定日が20日頃であったにも関わらずこの日に出てきたのは、コレは選んだな、わざわざ待ってたな、と思わずにおれない(笑)
国樂の興りとほぼ同時に生まれるべくして生まれられた瀧先生。天寿を全うされていたなら、日本の音楽界だけでなく教育音楽の事情も今よりはもっとまともになっていたであろうと思うと残念至極である。教育音楽に殊の外情熱を注がれ、画期的な唱歌を遺された。その命日に生まれた小生が事もあろうに大阪教育大(旧大阪池田師範学校のそれも師範科ではなく専科!)を出て唱歌・童謡を歌い続けておる。大学に進学する時は、瀧先生ましてや国樂に関して何も意識しても考えてもおらなんだが、卒業して、ふと自分のやっている音楽が西洋のものであるという事に違和感を抱き、当時日本歌曲が無碍に扱われていた事にも強い抵抗と反発感を抱き、自分が日本人として日本で西洋音楽を歌う(学ぶ・扱う)に至るルーツ・背景を知らねばならんと思い触れたところから、どんどん掘り進んでいくうちにやはり辿り着いたのが瀧先生であった。
遠回りして結局元に戻ってきたみたいな。
やれよ、と言われてたんちゃうかな。そんな気がしてきた。
勝手に因果感じて、これからも先生のご遺志・ご意思を継がしていただきます。細々とやけど。
49の誓い(笑)。
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