皆さんこんにちは。Kです。




コロナになりました。



15ヶ月ぶり2度目の罹患です。



風邪や発熱などもはや慣れたもんで、

38.5℃の熱を携えながら病院に行き、慣れた手口で裏口に車を停め、発熱外来で診てもらいました。



度重なる受診に、先生からは「君の体はウイルスを素通りさせてしまうみたいだね。ETCみたい。」と笑われました。





小さい頃の僕。聞こえますか。



あなたは大きくなったらETCになります。



それまでどうかご自愛ください。




◾️




今回は私の祖父の話です。




祖父は「昭和の人」そのものみたいな人格で、警察犬も裸足で逃げ出すムチと、アホみたいに甘いアメを兼ね備えた男でした。



幼いころ、私が祖父の言いつけを守らなかった時がありました。



頼まれていたおつかいをしていなかった、とかそんな些細なものです。



それを知った祖父は無言で私を担ぎ上げ、そのまま外に出て歩き出します。



どこに連れて行くんだと肩の上で暴れる私に、祖父は淡々と言います。




「川に捨てる」







半狂乱になりながら謝り倒すことで事なきを得ましたが、一歩間違えれば川に投げ捨てられていました。



あの目はガチでした。実際に川のへりまで連れて行かれました。



思えばあれ以来、誰かに担ぎ上げられることにものすごいストレスを感じるようになっているような気がします。



他にも、「乳歯がグラつく」と言ったら、

「どれどれ」と言いながら手でねじり取られたこともあります。


グラついてない歯を。



ポップな拷問を受けている気分でした。




また礼儀や食事作法にも厳しい人で、

お客さんに挨拶をしないとノーモーションでビンタが飛んできたり、偏った食べ方をしていると家にある1番太い棒でどつかれたりしていました。



論より拳。



時代の流れに中指を突き立てていくストロングスタイルです。




普通こんなことをされていたらめちゃくちゃ嫌いになるか心底怯えるかはすると思うのですが、



不思議なことに私は祖父のことが結構好きでした。



それが前述の「アホみたいに甘いアメ」です。



壊れた筋繊維が修復されることで強い筋肉になるように、私は平手や棒でシバかれた経験にアメを与えることで祖父との絆を生み出していました。



祖父の用事について行き、「見るだけだから」と帰りにゲームショップに寄ってもらい、買ってもらったおもちゃやゲームは数知れず。



「今回だけだからな」と笑って毎回買ってくれる祖父の顔は今でもよく覚えています。




他にも、私が高校生の頃。



自転車で40分くらいの距離の高校に通っていた私を毎日車で送って行ってくれていました。



部活で朝早い時、土日にも送ってくれました。



今考えれば、すごく恵まれた環境で育って来たように思います。



ただ一つケチをつけるとすれば、祖父の車はめちゃくちゃ目立っていました。悪い方で。



今まさに爆心地を走り抜けて来たのかと思うほど汚れたボディ。


多種多様な擦り傷。


不思議なほど凹んだバンパー。



その走行速度は40km/hを割り、原チャリにすら煽られる始末。



乗れる排気ガスと言って差し支えありません。





そんな祖父こだわりの愛車、一番のポイントがあります。



それはドリンクホルダーにパンパンに詰まった500円玉。



映画館のポップコーンくらい積み上げられたそれを、毎朝車に乗るたびに無言で渡してくれました。



アリとアブラムシ。


イソギンチャクとクマノミ。


孫を可愛がりたい祖父とお小遣いが欲しい孫。



確かな共生関係が、そこにはありました。



不器用ながらも「良くしてやりたい」と想ってくれていたんだなと、とても感謝しています。



晩年は寝たきりで、私も大学で遊び呆けていたこともあり、ろくに話すこともないまま他界した祖父でしたが、ちゃんとお礼を言えていないことが心残りです。



年末実家に帰った時にでも、手を合わせて話してみようかと思います。







レンタルビデオの返却期限が1日過ぎたときに杖でシバかれて3時間くらい怒鳴られ続けたの思い出した。



やっぱ実家帰るのやめようかな。