「好きなポケモンは?」と聞かれたとしましょう。



いま、脳内でいったんピカチュウが浮かんだあと、別のポケモンを探し始めませんでしたか。

ポケモンに限らず、「好きな○○」を問われた時、その界隈の一番人気や一番メジャーなものを答えることになんとなく抵抗を覚えたことはないでしょうか。

人はこれを逆張り精神と呼びます。

多数派の意見やポピュラーな選択肢をそのまま受け入れず、あえて別の可能性を探したくなる心理のことで、その界隈に詳しければ詳しいほどこの傾向は強くなるように感じます。


さて、今の問いに対して心当たりがあった皆さん。おめでとうございます。

あなたは立派な逆張り勢です。あまのじゃくと言ってもいいでしょう。
おかあさんから「ああ言えばこう言う」と言われた経験があるんじゃないですか?

ちなみにもちろん私も逆張り推進派です。
好きなポケモンを聞かれた時はだいたいサワムラーと答えています。




この現象について、検索エンジンで「逆張り」と入力すると「ウザい」や「キモい」がサジェストに出てくることからも、世間では悪とされているきらいがあります。

もしくは語彙少なめのギャルがサジェストを決めている可能性があります。

もっとも、これだけ多くの人に煙たがられているいうことは、多くの人に認知されているということでもあります。

悪名は無名に勝るという言葉もあるように、逆張りという思考がこれだけ浸透しているからには何かしらの存在意義があるはずだと考えました。

そんな世間からつまはじきにされた逆張りというスタンスについて、さまざまな視点から深掘りし、良いところもあるんだよということを皆さんに証明できればと思います。



まず初めに、私の逆張り精神を形成した原体験からご紹介したいと思います。


中学時代の話です。

陸上部に所属していた私は地区大会への出場を控えていました。

地区大会の競技登録は1種類のみ、短距離選手の私は100mと200mのどちらに出場するかを選ぶ必要がありました。

一般に、100mは純粋な走力が問われる種目で、足に自信のある選手ほど100mを選ぶ傾向があります。

一方、200mは走力に加えてコーナーワークやペース配分といった要素も絡んできます。

そこに「1種目しか選べませんよ」と言われた場合、足に自信ニキたちは正面から最速を競う100mを選ぶのではと考え、私は200mへの出場を決意。

結果、私より足の速い選手たちは軒並み100mへ流れました。
まんまと中途半端に足の速い選手だけが残った200mで見事優勝を果たし、「地区で一番足の速い中学生」という称号を勝ち取りました。

誰もいない山を登っただけとも言えますが、少なくとも山頂からの眺めは素晴らしいものでした。



次に、逆張りという言葉の響きで損をしているだけという説を提唱します。

暴走族はなんとなくかっこいいから珍走団に名前を変えろというムーブがありましたが、あれと近しい現象が起きているのではないでしょうか。

「逆張り」だと「本質はなにもわからないけど皆と違う選択をしたい俺」という、かなり愚かさを全面に押し出したニュアンスですが、これを
「反証思考」とするとどうでしょう。

途端に知的な香りが漂い始めますね。

たとえば金持ちのステータスである高級腕時計も、
「品なし腕巻き」とかだったら見向きもされないと思いませんか。

どちらも呼び方を変えただけで、その本質は変わっていません。

このように、思考そのものではなく名前の印象で皆から煙たがられているだけであり、呼び方を変えれば皆手のひらを返し評価し始めるのではと考える説です。



次に、「キモい」と言っている人がキモいですよとする説です。

逆張り、言い換えればクリティカルシンキング。

医師も、投資家も、優れた意思決定を行う人ほど「もし間違っていたら?」を考えます。

全員が同じ方向を向いているときに、あえて別の角度から光を当てる人がいるからこそ、大きな失敗が防がれるのです。

私の原体験もこれと全く同じです。

世間は「たまたまライバルの少ない種目を選んだだけ」と評しますが、本質が見えていません。

あれは競技選択ではなく市場分析であり、中学3年生にしてブルーオーシャンを開拓していたと言えます。


このように、逆張りとは人類の発展を支える重要な思考法です。

こんな常に思考を止めない優れた人材を「キモい」の一言で片付けてよいのでしょうか。

むしろ「逆張り」呼ばわりした人物こそ逆張りなのではと鼻息荒く主張する声が聞こえてくるようです。


そもそも、もし人類に逆張り精神がなかったらどうなっていたでしょうか。

誰もが人気ランキング1位だけを好きになり、全員が同じ映画を見て、同じ音楽を聴く世界です。

想像しただけで息苦しくなりますね。危うく世界がピカチュウだけになるところでした。

サワムラーがサワムラーでいられるのも、逆張り勢の存在あってこそです。

私は私。今後も自分を曲げることなく、流行りに逆行して生きていきたいと思います。

それでは。