今日はあの日から79年目の8/6です。
早い。
なぜ広島、長崎に原爆が投下されることになったのか?
いきなりそうなる訳はないので、我々はその過程を、歴史をしっかりと学ぶ必要があります。
広島の石碑には、過ちは繰り返しませぬから、とあります。
誰が過ったのか?
人類か? 欧米人か? 日本人か? それに関わった個々人か?
主語がないことで、いかようにも解釈できます。
大事なのは個々人が過ちに氣づいて、二度と繰り返さないと決め、行動することでしょう。
もう想定外などと言い放つ事は出来ないのだから。。。
皆さんのご先祖は、あの日をどう過ごしていたんでしょうね。
すでに戦でお亡くなりだったのか?
まさにあの日に亡くなったのか?
広島に救援に入ろうとしていたのか?
空襲の後始末をしていたのか?
どこかの戦場で戦っていたのか?
それとも海外にあって、日本の勝利を信じていたのか?
秋山の祖父は、2日後には広島に入り親戚を探しました。
その道程で見た広島を版画に残しました。戦後は警察官になり、だれ彼差別なく接して愛されたようです。
秋山の祖母は大竹にあって、赤ん坊の父を守っていました。二人の男の子を立派に育てました。
母方の祖父は満州にいました。シベリアに抑留され、3年後生きて帰りました。亡くなった戦友の家を巡り、広島に帰りました。会社を興して家族を守りました。
母方の祖母は大連にあって終戦。頭を剃って、倉庫に隠れて引揚船を待った。一年経ってようやく広島に帰ったら、故郷は原爆に焼かれ親戚は皆殺しでした。それでも生きて、祖父を待って、そして母が生まれました。
そうやって生命をつないでくれた人たちがいるから、今の我々の生命があります。
誰しもがそうですね。一度たりとも、途切れたことのない生命です。
大事にして、次の世代へつないで行かねばなりません。
二度と過ちを繰り返さないように、一部の人間の悪意に氣づかず、他者との分断、憎しみの扇動なぞに乗って他者をうかうかと攻撃してはいけません。
今の日本はとても危うく見えます。
大事なのは歴史を知ること、知って考える事、勇氣を持って行動すること、人間同士お互いをよく知って連帯すること、じゃないでしょうか?
そういう姿を子どもらにも見せねばなりませんね。
断じて自分らさえ良ければいい、などという態度ではいけません。それこそ、悪意を持つ者の罠に嵌っている証拠です。
さて、ここから先の地球に、我々はどういう社会を構築するでしょう。
それは我々、一人ひとりの決意と行動にかかっています。
国のために人が居るのではありません。
人が大勢いるから、国という器が必要なだけです。
一人ひとりにとって有用な国になるように、整形していきましょう。
それが頑張って生命をつないでくれたご先祖への供養となるでしょう。
共に、宜しくお願い致します。