広がれ お好み焼き 社会 

ありがとう倶楽部の秋山です。


脳みそも 體の一部ではありますが、考えると感じるを対比した場合 それぞれに対応するのは脳みそと體だなと思います。 


なので あえて 脳みそと體を対比して考えてみます。 


脳みそは考えたり 計算したり 言葉にしたり 想像したり 相当に優秀な器官であるのは間違いないと思います。 


がしかし物事の理解を 言葉や映像 動画に頼る傾向が強いので全体としては 情報量が少ないのでしょうね。 


それに対して體は感じる世界なので 言語化ができないことも含めて圧倒的に多くの情報量を入れて瞬時に対応することができるし いちいち考えなくても適切に反応してくれる 偉大な器官です。 


にもかかわらず私たちは頭でっかちになり 脳みそばかりを重視して体を疎かにして、感じることをおろそかにしているのではないでしょうか まる。


例えば 體が病気になってそれに対応するために 熱を出したり 下痢をしたり 嘔吐したりという反応をしていることに対して いちいち理屈で考えて正しいの 正しくないの薬を飲むの 飲まないのと右往左往していることが多いように感じます。 


そうやって対応したことが裏目に出て 副作用があることだってなんとなくはわかっているでしょうに 期待感の方にばかり注目して體が拒否していたり 欲していなかったりするその声は往々にして 無視してしまいがちです。 


結果効能を上回る 副作用を得てしまった場合は 薬害ということになるはずなのですが これも どうした わけか そんなことはありえないと簡単に言ってしまう人が多いように感じます。それこそ明確な根拠もないのに、です。 


脳みそは存外にポンコツで物事を客観的に見ることが実はできていない。 すぐに期待 や恐怖ベースのバイアスに引っ張られて間違った見方をすることがよくあると感じます。投資詐欺や 俺俺詐欺と言ったものに引っかかる人が後を絶たないのを見ても、脳みそがいいかにポンコツであるかを示す証拠であろうかと思います。 


被害にあってる人を見て自分は違うと感じる人が多いこともまた ポンコツ ぶりを証明しているとも感じます。


脳みそに関しては偉大な部分はあるけれども ポンコツの部分もあるのだというぐらいの認識を持っておいて ちょうど良いのだと感じます。 


逆に體に関しては、體を通していた 直感というものは多くの場合当たっているというのは 皆さんも実感するところではないかなと思います。 


結論としては 脳みそと體がそれぞれに発するメッセージをバランスよく受け取って 物事を選び 取っていくことが我々に求めてられているのではないかなということです。 


皆さんは いかがお感じになりますでしょうか。 いつもお読みいただいてありがとうございます まるありがとう倶楽部の秋山でした。