目指せ お好み焼き 社会 

ありがとう お言葉 コーチングの秋山 興です。 

以下は 私のプロフィールや思いです。


わたしは 1974年に広島市 に生まれました。 はだしのゲンを 愛読書に育ち第2次大戦に興味を持って 色々調べるうちに 日本は欧米の真似をしただけなのにどうしてここまで、原爆落とされるまで されなければならないのかと非常に強い怒りが湧いてきました。 


原爆を落としたアメリカという国を憎み いつかはアメリカに原爆を落としてやろうとそんなことを考えている 高校生でした。なので アメリカを憎む テロリストの気持ちがわかるような氣がします。


本当は防衛大学校に進学したくて親には内緒で受験の準備をしていたところ 受験票が家にやってきて親にバレて、心理学者で大学で研究し教育者でもあった父親に猛反対されて お互いの正義が全く 折り合わなくて勘当されて出て行けと言われたので出て行って、 友達の家に転がり込みました。 友達の家からしてみれば いい迷惑だったと思います。申し訳ありません。


3日後に母親から電話がかかってきて電話の向こうで 泣かれて、長男である私はそれに抗しきれなくて家に帰りました。 


仕方なく受験をして、仕方なく広島大学に行って 法学部に入り 日本国憲法を学び 大学院に進んでは 国際政治を学びました。 研究対象国はベトナムでした。ベトナムは唯一 アメリカに勝った国ですからね。


大学院で見た 先生たちが現場はあまり知らないことが面白くないなと感じていたのと、大学で大企業に就職した友達が あまり面白くないとぼやいているのを聞いていたので、であれば 中小企業に入ろうと思い 就職活動しました。 


選んだのは エステ の運営会社でした。 一番の決め手は わたしはあまりに長い間 アトピーで苦しんでいたのですが、そのアトピーは必ず治るよと インストラクターの先生が言ってくれたのが神様に言われたような氣がしたからです。わたし自身はもう一生付き合っていかなければならないと諦めていたのですから。 


どうして この会社に入ったのかと 当時の 専務から不思議がられたわたしですが 結局 5年間お世話になりました。 そこで 国内のエステサロン の運営や 海外との化粧品 機械の貿易業務に携わらせてもらいました。 


そこで出逢った技術者の仲間を社長にして化粧品屋 業務用機器の輸入販売 国内での製造販売の会社を立ち上げて わたしはそこの専務に就任しました。 こちらでは10年間勤めましたが 自分たちで事業を運営するのは非常に自由で面白く、もちろんいろんな取引先があって必ずしも楽しいことばかりではありませんでしたが、貿易のこと美容のこと健康のこと経営のことクレーム処理のこと等様々に勉強になりました。 


10年間 連れ添った社長との仲がだんだんとおかしくなっていって意見が食い違うようになり 自分自身も 独立しようと思って活動を始めたのですが 当時のわたしはいかにすれば自分が成功するか豊かになるかというようなことに ばかり執着があって今にして思えば 非常に 邪念にまみれていたと思います。


そういうことを見透かされたように周りにいた人たちも どんどん離れていって わたし自身も しまいには色々うまくいかないことから、人生 3度目の 鬱になって会社を辞めることになりました。 


面白いもので そうした タイミングで結婚して7年間できなかった子ども 人工妊娠でようやく 妻のお腹の中に宿ったのです。 うつの自分と どんどんお腹が大きくなっていく妻。さすがに焦りました。 でも心が動きません。そうした過程の中で何とか仕事をしなければということで見つけたのが、車の運転ならできるだろうということと 世の中を動かしているような いわゆる 偉い人の話は面白かろうというので就いた ハイヤードライバーの仕事でした。この仕事を現在も続けています。


あのタイミングで生まれてきた長男の大和は私を救ってくれた存在だと大感謝しています。当時の自分には子供の名前を考えても 大和の2文字しか浮かびませんでした。次男が生まれる時には一瞬 武蔵 かなと思ったのですが、 当時のお客様から両方とも沈んだよね と言われてやめました。そこで 色々考えたあげく 次男は天満という名前になりました。


ここ15年ほどになりますが、 中学の頃から興味のある、ありがとう という言葉 こそが私の人生のテーマであると感じて ありがとう倶楽部 というのを始めました。 Facebook ページを作ったり、ありがとうについて語り合う 場を設けたりしています。 


一時 停滞していましたが 昨年からもう一度 ネジを巻き直して、ありがとうカフェ という形で始めています。 これは全ての人は違う それぞれに天才があり、一人ひとりこそが ありがたい存在であるという前提を広めたくて活動している次第です。


その一人ひとりのありがたい存在違う存在がたくさん集まって、平たく まあるく 温かい 広島のお好み焼き のような社会が構築できるのではなかろうかと考えています。これをお好み焼き 社会と呼んでいるわけです。


あと この ありがとう の考え方に外せない 軸があります。それは第二次対戦を戦って私たちに 命をつないでくれた 大先輩たちへの思いです。必死に 戦って子どもたち 孫たちを守ろうとして亡くなって行った大先輩たちが望んだ社会というのは、今の社会のような状態だとはとても思えないのです。


命がこうして繋がっていることは全く当たり前ではない。 1度でも1人でもいなかったならば我々は 誰一人として存在していないということを考えた時に一人ひとりが 非常にありがたい存在だと感じているわけです。

私の1人の祖父は軍艦乗りで、もう一人の祖父はシベリア帰りです。 どちらが1人が戦死していただけでも私はこの世にいません。そういう人が日本中にいるはずなのです。


大和魂という言葉、これは日本という国を守ろうとする意志や智慧を表しているのだと感じています。 もし仮に日本を守ろうとする人が一人もいなかったとしたら日本という国は存続するでしょうか。 存続しませんね。 では一体 日本とは何なのかということを考えた時に 言語や文化や歴史を共有しこの国を守って続けていこうとする人たちが住んでいる国ということができると思います。


今かなり日本の中も乱れていて この状態の日本を子どもたち 孫たちにつないでいくのは忍びないと感じています。であれば大人たちが 理想像を描いてそれに向かって一歩ずつ着実に行動を積み重ねていく以外ないなと感じているわけです。


そこに様々な天才を持っている子どもたちと共に学問、 学び問いながら前進していくことが非常に重要だと感じています。 現代を生きる子どもたちの方が下手な大人よりもよほどに考えていてよほどに優れた能力を発揮している例は枚挙に暇がありません。彼らからもどんどん吸収し これまでに培った大人の経験を加味しながら共に 理想像を作っていけたらと感じています。


理想を言えば、全国各地にありがとうカフェのグループをやっている人たちがいて 毎日どこかでありがとうカフェをやっている そんな日本になっていたらいいと思います。 全国大会とか出来たら楽しいでしょうね。 


生活の中にありがとうが 充満していて全国各地の ありがとうカフェを渡り歩いて行ったり 民泊とかやってる仲間のところへ行って合宿をしたり 自然に触れて学んだり、ものづくりをして学んだり 商売をして学んだりいくらでもできることはあると思います。


ひいては これは 松下政経塾を受験した時にも 論文に書いたのですが 日本ありが党 を作ってありがとう を大事にする人たちで皆の思いをを具現化する政治を行えば良いと感じています。 一人ひとりはフラットで同じ お好み焼き 社会の素材として共通の土俵に立っているわけですから お互いを生かし合い 助け合うような社会が構築できるはずだと考えています。


それを具現化するための 日本ありが党 です。 今の自分さえよければいい 他人はどうなってもいいというような考えの権化のような社会より よほどマシだと感じています。拝金主義や ピラミッド社会はもうこりごりです。


長々と私の プロフィールにお付き合いいただきましてありがとうございます。 秋山 興はこういう人間です。 よろしくお願いいたします。