大和ニストの秋山です。


執着を捨てる。


でもその前に、

自分が、執着していることを認める。

その執着の対象を見極める、

という段階があるんでしょう。


で、執着を認め、許す。


これが出来たら、執着とバイバイできるんかな。


正義だとかこだわりだとか、一見すると良さげに見えるこれらも、ねばならない、であるべきだ、という執着だったりもする。


が、そりゃ選択だ。


誰かが決めた当然を、自分が選択しとるわけだ。ここで人にせいにする人が多いが、大事なのは自分のせいだと自覚することじゃね。


もちろん、それを認めた上で、ええやないか、自分にはこれが必要なんよ! と抱き締めるのもまた良いやね。


人に迷惑かけたらいかん、ってのは多くの日本人が持ってる執着じゃろうが、ほんまにそうかいね??


迷惑かどうかは、100%相手が決めること。

じゃ、全員に迷惑かけないなんて、無理だわね。お前の存在が迷惑だ!!って言われたらどうするの? 死ぬ? いやいやいや、、、無いでしょう。


じゃあその執着は要るの?要らんの?

どっち?? と問われたら私は要らんと思うなあ。


色々お互いに迷惑かけるかもしらんけど、話し合いながら前に進んでいきましょうや!って方がいいな。


どうしようもなく合わないなら、三十六計逃げるに如かず、ってのもあるしな。


自由であるってのは、なかなか大変やね。

人と人の間にあってこその人間やしね。


とはいえ、人生を一生一緒に歩むのは己一人だけなのだから、己が何に執着するのか、執着しないのか、これは よー考えて自分の責任で決めてええことじゃと思いますな。


人に責任を取れっていうのは間違っとる。


なにせ、こちとら生まれさせられたんじゃなくて、選んでこの時代に、この日本に、この親の元に、広島に、生まれたんじゃけえな。


皆さんはどうですかい?