いつもありがとう!
ありがとう!お言葉カウンセラーの
大和屋興ノ介です。
今朝はちょいと重い話。
新潟では7歳の女の子が誘拐され殺された上に、電車に引かれて、
千葉では6歳の子が、おじさんに刺されて死亡。
なんでそんなこと、、、
そんな酷いことするんや。。。
という思いを禁じられない。
私ら生命は、体験・体感するためにこの世に生まれてきとると思うけれども、この人を殺すとか、人に殺されるとか、こういう経験はしたくない。
どっちもイヤだ。
罪を憎んで人を憎まず
という言葉があるが、昔から、ものすごく違和感のある言葉。
一体全体どういうことを言っているのかよくわからなかった。そんなに器用に、罪と犯した人を分けて、憎んだり、憎まなかったり出来るんじゃろうか?
これを言った人も家族を殺されたんかもしれんなあ。相手が憎くて、憎くて、殺してしまいたい衝動を必死で抑えるために、こうやって戒めていたのかな?だとすれば、ものすごい憎しみとずっと闘っていたんだろう。
憎しみの強力なパワーは、自らの身を焼く。自分も原爆への憎しみ、アメリカ人への憎しみから、アトピーがものすごいことになってた。
これを言った人も、はらわたが千切れるほどの苦しみだったんだろうか?
それでもなお、憎しみを捨てきれなかったから、罪だけを憎もうとしたのかな。。。いたたまれない。
子ども達を理不尽に殺されてしまった親は今どうしてるんだろう。。。
自分も親にならせてもらって、その苦しみが胸にせまる。
自分も過去生では、沢山人を殺してきたんじゃろうか?だから今生では、人殺しはしてはいかんと、思えるようになっているんじゃろうか?
なんで、殺したり、殺されたりするんじゃろうか?両方とも経験するために生まれてくるんかなあ?
?ばかり出てきます。
答えは見つかりません。
