埼玉の城-12(油井城) | KOHのブログ

KOHのブログ

滝へ行こう カメラを持って

こんにちは (^O^)


埼玉の城 12城目です にひひ


以前探しても見つからなかった

加須市油井ヶ島の

「油井城」(ゆいじょう)

に行ってまいりました。


(みっきぃさん、情報ありがとう

ございました。今回も迷いましたが、

なんとかたどり着きました。)


まずは歴史から。


---------------------

武蔵七党の一つ猪俣党の猪俣小平六則綱

またはその末裔の城址というが確証はない。

「鐘撞山之記」には「永禄五年、上杉謙信は

北条方の成田長康(泰)の次男小田助三郎

頼興が守る私市城を攻め城を焼き払い、一

隊は油井城にも迫った。城中の兵はしきりに

鐘を鳴らし、急を私市城に告げたが、私市も

授ける力がなかった。城中の兵は甲冑や武

器を丘に埋め、身を持って逃れた。世人呼

んで鐘撞山という。元禄(1688-1704)の頃、

大身槍、陣鍋が出土した」とある。

本城は騎西城の出城で騎西城とは約二㎞

離れている。

上(かみ)氏の屋敷をめぐる堀、その西にあ

る土塁が油井城の跡である。神宮寺には

板石塔婆が二十一基保存されている。

---------------------



同様の要約が現地の説明板(下写真)

にあります。鐘撞山とは油井城の別称ですね。


KOHのブログ


上記の説明にあります

「屋敷をめぐる堀」です。



KOHのブログ


KOHのブログ


KOHのブログ


屋敷の北側は、ご覧の通り平地が広がっています。


KOHのブログ


「甲冑や武器を丘に埋め」た丘が向こうに見えます。


KOHのブログ


丘の上には大きな碑が

ポツンと建っています。



KOHのブログ


この碑に書かれている碑文が、

先の説明に長々と記しました

「鐘撞山之記」ですね。にひひ

(良く読み取れませんが・・・)


KOHのブログ

ここは誰もいませんでしたが、本来入っては???

なのでしょうか。

ですから、荒らさないようにかなり気を使って

見学させていただきました。


木々もあって静かな所でよい場所です。

静かすぎてちょっと怖いくらい (^_^;)


KOHのブログ


遺構が良好な形で保存され、公園として

一般公開されることを私も望みます。


では、またパー