蟹工船を読みました。
何をいまさらといわれそうですが、何となく岩波文庫版を手にとって見た次第です。
語り手というか、全体を通した主眼というのがはっきりせず気がつくと、プロレタリアートへの扉の目の前に立たされているという印象を受けました。
書き始めを読む限り、書き手は限りなくこれから蟹工船に乗り込んで行く人のようなのですが、気がつくと観察者に変わっている。意識したものなのか、それとも僕の頭の中がおかしいのかよくはわかりませんが、まったくわからないところで移行していました。これが何を意味しているのか、はたまた、僕の感違いなのか。でも、気がつくと資本主義が遺憾尋常ならざるものかという御旗の前に連れ出されているのです。
プロレタリア文学というからには共産主義万歳万歳!!という感じになるのかと思いきや、意外と登場人物にはそれになびかない人間が(しかもそれが労働者の中に)いて、当時の赤化というものがどう捉えられていたのかもなんとなくわかるつくりになっていました。
僕個人としては(もしかするともう小林多喜二の狙いにまんまと引っ掛かっているのかもしれな いが)、労働者の戦いが醜いながらも、その命のほとばしりが美しく見えました。
このエネルギーを露骨に受け継いだ人間たちがいわゆる安保闘争の時に活躍したのは、当然だと思う。自分の中で一つ歴史がつながった書籍。
ブログネタ:日本国内で一番行きたい場所
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と、よく揶揄されるののが、北陸なり山陰なりの地方。ですが、ここら辺というのは実際に考えてみるともとは貿易の中心地だったわけです。だって、良くも考えてみてください。中国というのは日本海を経由して貿易をおこなってきたんです。つまり昔は貿易の中心といえば境とかそっちのほうだったわけですね。
江戸時代の北前船なんてのも日本海回りの航路でしたから、往時の殷賑というのは今とは比べ物にならないものだったそうです。
実際に金沢は行ったことがあるのですが、如何せん山陰地方には未だ足を踏み入れたことがないんです。出雲大社やら鬼太郎の舞台になったところやら見るべきところは山ほどある。
特に出雲大社入ってみたいところNo,1ですね。何といっても日本にる八百万の神々すべてが一堂に会す場所。当然僕たちが住んでいる街の神様もいるわけで、それは日本人として一回は行かなければならない場所だろうと思うわけです。
何といってもね、裏日本は魚がうまい。金沢に行ったときにびっくりした。ほんとにうまい。島根、鳥取なんてものぜったいうまいに決まってる。それも舌で実感したいわけ。
砂丘も行ってみたいね。ナシはおいしいらしいし。いやなんか上げたらきりがなくなりそう。
裏日本。
と、よく揶揄されるののが、北陸なり山陰なりの地方。ですが、ここら辺というのは実際に考えてみるともとは貿易の中心地だったわけです。だって、良くも考えてみてください。中国というのは日本海を経由して貿易をおこなってきたんです。つまり昔は貿易の中心といえば境とかそっちのほうだったわけですね。
江戸時代の北前船なんてのも日本海回りの航路でしたから、往時の殷賑というのは今とは比べ物にならないものだったそうです。
実際に金沢は行ったことがあるのですが、如何せん山陰地方には未だ足を踏み入れたことがないんです。出雲大社やら鬼太郎の舞台になったところやら見るべきところは山ほどある。
特に出雲大社入ってみたいところNo,1ですね。何といっても日本にる八百万の神々すべてが一堂に会す場所。当然僕たちが住んでいる街の神様もいるわけで、それは日本人として一回は行かなければならない場所だろうと思うわけです。
何といってもね、裏日本は魚がうまい。金沢に行ったときにびっくりした。ほんとにうまい。島根、鳥取なんてものぜったいうまいに決まってる。それも舌で実感したいわけ。
砂丘も行ってみたいね。ナシはおいしいらしいし。いやなんか上げたらきりがなくなりそう。
裏日本。
今回はハードカバーの本について
ハードカバー、日本語では上製本といいますが、これの意義ってなんのでしょう?
1、本の保護するため
⇒実際にグーテンベルグ聖書の現物を見ると、ヤギだか何だかの皮でつくられたカバーで
本が守られています。まず第一に、そんじょそこらのダメージで折れるなんてころはまずありません。
2、高級感をだすため
⇒良く辞典なんか(平凡社とか岩波文庫物を)を見ると金が埋め込まれたタイトルを
見たことがありませんか?まぁ、昔で宝石などが埋め込まれていたものもあったわけです。
実際に、立派な装丁であればなんとなく信頼感じみたもの出ますしね。
が主たる理由であり、僕はこれだけ理由があれば十分だと思っています。しかし現在、「お手頃」という言葉が世の中の主流を占めていて、上記の理由よりハードカバーの本を欲する人間はいないでしょう。おそらく、上記の理由で本を買う場合それは
「図書館の中で、リファレンスとして皆が利用する」
というような、公共の機関の話になってくると思います。逆説的に言うならば、公共機関が欲する本ではない限りハードカバーの本はいま必要がなくなってきているともいえるでしょう。
では、先日の村上春樹の本がなぜあれだけ売れたのか?
それは彼のネームバリューと「ハードカバーしかないから」ということに他ならないと思います。
文庫本があれば間違いなく文庫本に客は流れたでしょう。家具の大手チェーン「ニトリ」のキャッチコリーは『お値段以上、ニトリ』です。出版業界は、おそらくこの傾向を長らく無視してきたのだと思います。現在の市場とか市場心理の状況から考えれば、文庫本や新書は世の中のニーズにもっともフィットした商品形態といえるでしょう。その主賓形態を維持するには、売れるものを多く。売れないものは切る。ということをしなければないりません。無印良品は先日在庫一掃して商品を絞るという改革を行いました。
が、これは出版業には一番できないことなのです。例えば岩波文庫でしか読めない本(「最暗黒の東京」とかですな)ってそんなにニーズないですよ。年にいくらも売れるわけがない。でも、その本をほしい人は確実にいる。でもそういう本を作ろうとするとあんまり売れないから不良在庫になる。そんなジレンマが今、出版という業界を揺さぶっているわけです。
まぁ、僕個人としてみればハードカバーって重いし読みにくいんですよね。だから文庫本とか好きだし。本って持ち運んでどこでも読めるから素敵な存在だったはず。それが一番持ち運びににくいものになってしまった。もっとコペルニクス的転回をしなければならないんだろうな。やっぱりKindleは売れるんだろうな。
ハードカバー、日本語では上製本といいますが、これの意義ってなんのでしょう?
1、本の保護するため
⇒実際にグーテンベルグ聖書の現物を見ると、ヤギだか何だかの皮でつくられたカバーで
本が守られています。まず第一に、そんじょそこらのダメージで折れるなんてころはまずありません。
2、高級感をだすため
⇒良く辞典なんか(平凡社とか岩波文庫物を)を見ると金が埋め込まれたタイトルを
見たことがありませんか?まぁ、昔で宝石などが埋め込まれていたものもあったわけです。
実際に、立派な装丁であればなんとなく信頼感じみたもの出ますしね。
が主たる理由であり、僕はこれだけ理由があれば十分だと思っています。しかし現在、「お手頃」という言葉が世の中の主流を占めていて、上記の理由よりハードカバーの本を欲する人間はいないでしょう。おそらく、上記の理由で本を買う場合それは
「図書館の中で、リファレンスとして皆が利用する」
というような、公共の機関の話になってくると思います。逆説的に言うならば、公共機関が欲する本ではない限りハードカバーの本はいま必要がなくなってきているともいえるでしょう。
では、先日の村上春樹の本がなぜあれだけ売れたのか?
それは彼のネームバリューと「ハードカバーしかないから」ということに他ならないと思います。
文庫本があれば間違いなく文庫本に客は流れたでしょう。家具の大手チェーン「ニトリ」のキャッチコリーは『お値段以上、ニトリ』です。出版業界は、おそらくこの傾向を長らく無視してきたのだと思います。現在の市場とか市場心理の状況から考えれば、文庫本や新書は世の中のニーズにもっともフィットした商品形態といえるでしょう。その主賓形態を維持するには、売れるものを多く。売れないものは切る。ということをしなければないりません。無印良品は先日在庫一掃して商品を絞るという改革を行いました。
が、これは出版業には一番できないことなのです。例えば岩波文庫でしか読めない本(「最暗黒の東京」とかですな)ってそんなにニーズないですよ。年にいくらも売れるわけがない。でも、その本をほしい人は確実にいる。でもそういう本を作ろうとするとあんまり売れないから不良在庫になる。そんなジレンマが今、出版という業界を揺さぶっているわけです。
まぁ、僕個人としてみればハードカバーって重いし読みにくいんですよね。だから文庫本とか好きだし。本って持ち運んでどこでも読めるから素敵な存在だったはず。それが一番持ち運びににくいものになってしまった。もっとコペルニクス的転回をしなければならないんだろうな。やっぱりKindleは売れるんだろうな。