さて
間をあけてしまったが
後半も私にはリセット&リスタートの旅にナッタでござる
滋賀
妙法山東光寺に別れを告げ
一路
比叡山へ向かいました
いつも
私を見守って父のように偉大で尊敬してる方の
本寺がここ『比叡山』にあるんです
今は善光寺御開帳により私が比叡山にきた
タイミングで
長野に戻られたのですれ違いですけど
そこを通り越し
向かったのは
『元三大師堂 四季講堂』です
突然ですが
戸隠のおみくじを引いたことありますか?😉
私達
戸隠民は
当たりすぎて怖いから
よっぽどでないと引かないんですよ。
娘たちもドンピシャすぎると、受験や旅立ちとか
そんなときにひいてました
戸隠の御神籤は
社務所の神官さんに『年齢と性別』をつげ
それを聞いた神主さんが
ご祈祷をしながら引いてくださる
『祈祷御籤』です
以下
私が説明するよりも
戸隠神社様の記事をお借りします
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祈祷御神籤きとうおみくじ
「おみくじの歴史」
戸隠の【おみくじ】の起源をたどると、平安時代に円仁(慈覚大師)が唐から比叡山に持ち帰ったものにさかのぼります。それらを元に、良源(元三大師・慈恵大師)は、観音菩薩に祈念して、現在お寺でひかれているおみくじに改めました。一番から百番のおみくじそれぞれに書かれている五言四句の漢詩(籤詩)の意味で吉凶が決められています。
良源は十世紀に活躍した高僧、天台宗の総本山である比叡山中興の祖で、恵心僧都など多くの名僧を育てたことでも知られています。
~中略
「戸隠とおみくじ」
おみくじが大衆に浸透していくのは江戸時代に入ってからのこと。東京上野の寛永寺を創始した天海僧正の夢に、日ごろ帰依する元三大師が現れ「信州戸隠山にある観音籤で、信心して占えば、人の願いに応じて吉凶、禍福を知らしめるであろう」とのお告げがありました。早速、天海は戸隠のおみくじを取り寄せ、経をとなえ、ゆすりながら筒の口から出た籤で占ってみると、将来のことが手に取るように明らかだった、との逸話が残されています。この観音籤の広まりとおみくじの解説本の登場により、庶民も病気、待ち人、縁談、引越し、商いなどを占うことができるようになりました。
戸隠神社は明治維新まで戸隠山顕光寺という天台宗のお寺でした。天海僧正の夢の逸話から、すでに江戸時代初頭には戸隠に御神籤〈おみくじ〉があったことがうかがわれます。