先週の火曜日
長男は3年間、二男は1年間通っていた空手をやめてきました。
空手を始めた時は喜んでいったのですが、
なかなか空手の楽しさをみいだせずだんだんとすすんで
いくことがありませんでした。
二男は通う日になると園に行く前に「絶対に空手という言葉をいわないで、
かなしくなってくる」と念押しされました。
園から帰りさあ、空手に行こうと話すと毎回荒れ狂うしまつ
迎えに行くと、あら??超楽しそう
しまいには「近所のこと一緒に帰るからママは先に帰っていいいよ♪」
の一言で拍子抜け。やはり体を動かすと楽しいんでしょうね。
自宅では時々二人で演武をしてたのしんでました。
そういう姿をみてたので、習いごとは続けなくてはと、意気込み
泣いても連れて行ったのですが
連れていくときのあの荒れ狂う二男をみるのも・・・・・
まだまだひとケタの年齢
彼にとっては何かに縛られることへの苦痛をかんじているのだと
考え直しました。
近所の先輩男の子も二年間、楽しそうに通っていたけど、
6歳の時に通う意味はにたどり着き
空手の先生に自分で喜びを見いだせないと説得し、
議論では勝てなかったそう
この男の子は大人の管理下での遊びは楽しくないと、
いつも楽しそうに、泥まみれになって帰ってきました。
自分の子供の時を思い出し、自宅裏の畑が遊び場だったアタシ
友達は少なかったけど、毎日変化する自然に魅了され
時にはたまり池に落ち泥だらけ、ふわふわ葉っぱ畑の人参畑に
ふかふかベットをおもい上から飛び降り、イタタの思い出。
近所の子供たちと、隣の畑から芋を拝借(時効なので)
焼き芋して真っ黒こげ中身がちょっぴの焼き芋になったり。
飼ってた動物・小鳥たちと会話して小学時代すごしました。
超楽しかった~の思い出だけ
たいくつや寂しいという思い出はありません
でも今の時代のような親とのかかわりの重要性をは謳うような
そんな時代ではありませんでしたが、
子供たちなりの世界観をそれぞれもち
自分なりに居場所はあったんだなと思います
子育ってて親育てのようで
きっと本や教育雑誌のような子育てが
立派なわけではありませんよね
常に子供の健康と安全はまもりつつ
ひとりひとりの子供の個性にあった居場所を
つくってあげたいものです
その後の長男と二男はといえば、空手呪縛から!?解放され
逆によく私の話を聞いています。
けっこうスパルタな母親と反省の日もありますが、
時には自分たちの意見を尊重してくれる。
ということをきっと身をもって感じたのかな(にっこり)
長男には三年間の心の中の金メダル
二男には一年間の心の中の金メダルこれは
誰にも奪えない自分のメダル
何かに挑戦する時このメダルを胸に自信をもって
がんばりぬきなさいと話してあげました
ご拝読ありがとうございました