『日本国紀』読書ノート(208) | こはにわ歴史堂のブログ

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208】「新安保条約」を「正しく評価しているとはいえない」。

 

「GHQは、日本人が容易に憲法を改正できないようにと、非常に高いハードルを設けていたのだ(憲法第九十六条に、憲法改正の国民投票を提起するには国会両院で三分の二以上の議員の賛成による発議が必要と定められている)。」(P455)

 

と説明されています。

憲法は「硬性憲法」と「軟性憲法」の二種類があるのは中学生でも学習します。雑に言えば「改正しにくい」憲法と、「改正しやすい」憲法のことです。

当時(現在も)、改正しやすさ、しにくさの分岐点は、議会においては議員の過半数多数決か2/3以上多数決かが一般的で、これはアメリカ合衆国も、スペインもドイツも、この方式を採用しています。とくに「非常に高いハードル」ではなく、「硬性憲法」としては標準的です。

「GHQは日本人が容易に憲法を改正できないように」と百田氏は決めつけておられますが、大日本帝国憲法の第73条をご存知無いのでしょうか。

 

第1項 将来ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅令ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ

議ニ付スベシ

第2項 此ノ場合ニ於テ両議員ハ各々其ノ総議員ノ三分ノ二以上出席スルニ非ザレバ議事ヲ開クコトヲ得ズ出席議員ノ三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非ザレバ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ズ

 

出席議員の規定まで含まれているので、大日本帝国憲法は日本国憲法よりもはるかに「硬性」で、もし百田氏の言を借りて説明するならば「GHQは、日本人が憲法を改正しやすいように」制限を緩めた、とも説明できます。

2/3以上多数決は大日本帝国憲法を継承しています。

現行憲法や大日本帝国憲法の基本的な内容は理解されておいたほうがよかったのではないでしょうか。

 

さて、新安保条約について、次のように説明されています。

 

「岸信介首相は安保改定のためにアメリカ側と粘り強く交渉を続け、ついに昭和三五年(一九六〇)、日米安保を改正した新条約に調印した(新安保条約)。これにより、アメリカには有事の際に日本を防衛するという義務が生じ、さらに今後は日本の土地に自由に基地を作ることはできなくなった。そして国内の内乱に対してアメリカ軍が出動できる、いわゆる『内乱条項』も削除された。」(P455)

 

とありますが、有事の際、アメリカが日本を防衛する義務ができた、という説明はやや一面的で、「共同防衛」という形にすることでアメリカを引っ張り込んだだけです。

ですから、日本にも相応の義務が発生しました。

 

第三条では、締約国は「個別的に及び相互に協力して」「自助及び相互援助により」、「武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」と記しています。第五条でも、「自国の憲法上の規定及び手続に従って」「共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と記されています。

これをそのまま読めば、「『この改正によって、日本はアメリカとの戦争に巻き込まれる』という理屈を掲げて反対し…」と説明されていますが、巻き込まれる可能性はもちろんあります。

また、「自国の憲法上の規定及び手続に従って」という部分がある以上、もし憲法が改正されれば、この条約に直結することにもなるので、ますます「アメリカの戦争」に巻き込まれる可能性は高まる、という意見を述べる人たちの懸念もわかると思います。条文解釈的には一方的に誤りとは断言しにくい部分です。

 

「傘下の労働組合や学生団体を扇動して」と安保反対側の「過度な運動」ばかりを強調されていますが、安保賛成側も、同じように賛成する傘下の団体に「協力」を求めていたのも事実です。

反対側に過激なデモを展開するグループ・団体がいたのも確かですが、賛成側もかなり過激行動をするグループ・団体もいましたよ。

実際、「安保闘争」を境にして、一方の団体による、いわゆる「街宣カー」の活動が始まっています。

いつの時代にも、ある一つの法案に対する過激な賛成論、反対論は存在しています。

そのどちらか一方のことを大きく取り上げ、もう一方の過激さに触れないのは著しくバランスを欠いた説明です。「安保闘争」の説明を単純化してはいけないと思います。

「デモに参加していた夥しい大学生は、新安保条約の条文を正しく理解していなかったばかりか、読んですらいない者が大半で、日本社会党や共産党に踊らされていただけの存在だった。」(P455P456)という説明はあくまでも百田氏の感想です。

そんなことを言い出せば、賛成派に動員されていた団体・グループもどれほど安保条約を理解していたかどうかわからないところです。

大学などでは、安保条約の内容検討会や討論会、街頭での説明など様々な活動も学生たちは展開していました。その反面、学生運動にまったく興味のない「ノンポリ層」もいましたが、そういう学生と混同してはいけないと思います。

 

「自然承認の成立を前に、岸は首相執務室に、弟の佐藤栄作大蔵大臣(後、首相となる)といた。佐藤は「兄さん、二人でここで死のうじゃないか」と言ってブランデーをグラスに注ぎ、兄とともに飲んだという逸話が残されている。」(P456)

 

と、美談仕立てで、当時の官邸内の様子を説明しています。私もこの逸話は好きなほうで、政治家だった親戚のおじさんから、与野党の新安保当時の裏話を聞かされました(むろん誇張か過小か真偽は不明ですが)

しかし、官邸の外はデモ隊と警官隊の衝突もあり、賛成派の反社会的勢力がデモ隊を襲撃する事件も起こっています。デモに参加していた東京大学の学生樺美智子が死亡する事件も起こっています。

過激化したきっかけは樺美智子の死の知らせが届いた後です。

デモ隊の人数は、主催者発表33万人、警察発表13万人なのですが、百田氏は「国会と首相官邸には三十三万人のデモ隊が集結した」と、デモ隊発表の数字を採用して説明されています。

しかし、大部分のデモ隊と警察官は非暴力的で、「33万人の騒乱」として説明されてはいますが、負傷学生400人、死者1人、逮捕者200人、警察官負傷300人という状況でした。

 

「こうして岸はデモ隊の襲撃による死を覚悟したが、いささかも信念を曲げることなく、新安保条約を成立させると、一ヶ月後、混乱の責任を取る形で総辞職し、議員も辞職した。まさに自らの首をかけた決断であった(総辞職の前日、テロリストに指されて重傷を負っている)。」(P456)

 

と説明されています。これではこの「テロリスト」が安保闘争の関係者のように思われてしまいます。岸を負傷させた人物は、安保とは無関係のことで岸を襲撃しています。

 

「岸は治安のために、防衛庁長官に自衛隊の出動を申請するが、赤城宗徳長官は、『自衛隊が国民の敵になりかねない』と言って拒否した。」(P456)

 

と説明されています。ちなみに、赤木長官が後に語った言葉を紹介します。

 

「仕方なく辞表を懐にして行ったよ。部隊を出す以上勝たなければならないが、それには銃を使用しなければならない。しかし全学連といえども国の若者である。国軍に国民を撃てとは私には命じられない。だから出動を命じられれば、辞表を出す他なかった。だって、軍人たちに聞いたら、素手で出したのでは勝てる自信がないって云うんだもの。」

「丸はだかで,武器も持たずに出動すれば、機動隊よりも弱体だ。」

「再度正式に要請されればわたしとても承認せざるを得ない。」

 

『今だからいう』(赤城宗徳・文化総合出版)

『中村龍平オーラルヒストリー』(防衛省防衛研究所戦史部編)

 

ところで、岸が防衛庁長官に自衛隊の治安出動を命じたならば、指揮系統として拒否はできません。この話は、「治安閣僚懇談会」で佐藤栄作・池田勇人が赤木長官に要請したときの話です。(『自由民主党党史第2巻』自由民主党党史編纂会・編)

「自衛隊が国民の敵になりかねない」という発言は不正確で、インターネット上の説明でしかみられないものです。

 

「岸は、『安保改定がきちんと評価されるには五十年はかかる』という言葉を残しているが、日本のマスメディアは五十年以上経った今も、この時の安保改定および岸の業績を正しく評価しているとはいえない。」(P457)

 

と説明されていますが、「安保条約」を「正しく評価」するために触れなくてはならない第2条に百田氏はまったく言及されていません。

 

安倍晋三首相が、まだ首相になられる前、何かのテレビ番組の座談会だったか何かで、

新安保条約のことを話されていました。安倍首相が小学生の頃(すいません、中学生の頃だったかも)、先生が安保条約のことを否定的に説明されたとき、第2条の項目を説明して反論した、という思い出話をされていました。

「どなたもなかなか評価しないところなんですが…」と、第2条を解説されて安保条約の「業績を評価」されていたことをよく覚えています。

これが「経済協力条項」です。

 

「…締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済協力を促進する。」

 

二つの意味がありました。これでアメリカとの共同防衛が約束されたのみならず、日本への様々な経済協力を得られることができて、高度経済成長に弾みをつけることが

できました。

そして、日本は、共同防衛において、軍事的な協力を経済的な協力に置き換えられて、憲法9条に直接触れることがないように活動しやすくなった、ということです。

 

新安保条約の改定において、共同防衛義務の話や内乱条項の削除の話だけでは、安保条約の業績を「正しく評価しているとはいえない」と思います。