『日本国紀』読書ノート(173) | こはにわ歴史堂のブログ

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173】ミッドウェー海戦と「言霊主義」は無関係である。

 

「昭和一七年(一九四二)六月、聯合艦隊はミッドウェー海戦で、主力空母四隻を失うという致命的な大敗を喫する。この戦いは運にも見放された面があったが、日本海軍の驕りと油断が多分にあった。」(P393)

 

「運に見放された面があった」としたら、それはどういう点だったか、「日本海軍の驕りと油断」とはどのようなものであったか、通史における戦史ですし、何よりも戦局を大きく悪化の方向へと導いた分岐点のミッドウェー海戦の敗戦を、ありもしない「言霊主義」で説明してしまっては、社会科学的分析がまったく無意味なものになり、複雑な歴史の要因を単純化してしまいます。

「言霊主義」の話などせずに、その分を紙面にミッドウェー敗戦の原因に割いてほしかったところです。

索敵の失敗、暗号の解読、米軍のレーダー使用、司令官の判断ミスなど、半ページもあれば説明できます。

 

ところで、開戦前の図上演習の逸話ですが、私はあまりこの手の話は割り引いて理解しているのですが、百田氏の説明がちょっと通説とは微妙に異なり、不正確なので説明させてもらいますと。

 

「日本の空母に爆弾が命中して沈没するという事態になった時、参謀の一人が『今のはやり直し』ということで、被害ゼロのシミュレーションにして図上演習を続けている。」(P393)

 

と説明されていますが、これはおそらく参謀長宇垣纏の逸話であろうと思います。

真珠湾攻撃の図上演習の時のことですが、「空母に爆弾が命中する」というような戦術レベルの話は、参謀長はしません。

1941年9月、海軍大学校でその「演習」はおこなわれました。全体的には日本が戦果をあげたのですが、日本の空母が3隻撃沈されるという判定が出ました。

しかし、図上演習を見ていた宇垣は、空母撃沈されたという判定を取り消しました。

判定を一部変更しただけで「やりなおし」させてはいません。

(『山本五十六』半藤利一・平凡社ライブラリー・平凡社)

実は、1942年4月、ミッドウェー海戦の前の戦艦「大和」でも図上演習が行われています。

このときは、ミッドウェー攻略の前にアメリカ機動部隊が日本の機動部隊を攻撃するという事態が起こり、その結果、日本の空母に被害が出て攻撃機が出撃できない、という判定になりました。この時、宇垣が空母の被害を軽微とし、作戦演習を続行させています。

(『日本海軍の驕り症候群()』千早正隆・中公文庫)

どうやら百田氏は、この二つの逸話を混同、あるいは誤認されてしまっていると思われます。

 

さて、「鎧袖一触」の話ですが…

こちらは山本五十六と源田実の実話かどうか不明の「逸話」(1942年5月25)の紹介だと思いますが、これも不正確です。

宇垣参謀長が登場します。宇垣は南雲第一艦隊司令官に尋ねます。

「ミッドウェー基地に空襲をかけているとき、敵基地空軍が不意に襲撃してくるかもしれない。そのときの対策はどうするか。」

南雲は、航空参謀源田実の顔をみます。源田はこう答えました。

「わが戦闘機をもってすれば鎧袖一触です。」

すると山本五十六は厳しい表情で源田に言います。

「鎧袖一触などという言葉は不用心極まる。実際に不意に横やりを突っ込まれたときどう応じるか十分研究せねばならぬ。この作戦はミッドウェーを叩くのが主目的ではなく、そこを突かれて顔を出す敵空母を潰すのが目的である。本末を誤らぬように。だから攻撃機の半分に魚雷を待機させるように。それから索敵は最善をつくせ。」

(『太平洋戦争海戦史』太平洋戦争研究会・新人物往来社)

ですから、

「…にもかかわらず、『鎧袖一触』という言葉で対策や検討を打ち切っている。」(P393)

という説明は明確に誤りです。検討を続け、山本五十六は「索敵を十分にする」「攻撃機の半分に魚雷を準備する」と対策を支持しています。

というか、私はこの「鎧袖一触」の逸話はちょっと怪しい、と、思っている派です。

源田実に対して、ちょっと批判的で、まるで無能であるかのような指摘です。

実は、もう一つの記録があり、私はこちらが実際のものであったと考えています。

 

宇垣は、草鹿第一航空隊参謀長に「敵に先制空襲を受けたる場合、或は陸上攻撃の際、敵海上部隊より側面をたたかれたる場合如何にする」と尋ねました。

すると草鹿は、「斯かる事無き様処理する」と答えました。

宇垣は、これを不適切として追及すると航空参謀の源田実が、

 

「艦攻に増槽を付したる偵察機を四五〇浬程度まで伸ばし得るもの近く二、三機配当せらるるを以て、之と巡洋艦の零式水偵を使用して側面哨戒に当たらしむ。」

 

と具体的に対策を回答しています。(『戦史叢書43ミッドウェー』)

 

草鹿が「そんなことにならないように何とかします」という曖昧な回答をしたので宇垣が追及すると源田が「航続距離を伸ばした偵察機を用意し、零式水偵を使って側面哨戒させる」という対策を回答しています。

 

戦時中の「おもしろい逸話」を真に受け、しかもそれすら正確ではなく、当時の軍人の無能・失敗エピソードを、何の根拠もない「言霊主義」で説明してしまっています。

歴史は、一見単純な動きをしているように見えても、実は複数のさまざまな合力で一定の方向に動いているのです。

再度強調しますが、「言霊主義」による説明は、歴史的事件や戦争の原因を矮小化し、社会科学的説明や実証的研究を省略あるいは軽視するものに他ありません。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12434770907.html