1019年
藤原頼通が関白となりました。
前にも申しましたように、父の藤原道長は関白にはなっていません。それに対して頼通は、関白にもなり、摂政にもなりましたから、言葉のみにこだわるならば、「摂関政治の全盛期」は頼通の時代、といってもよいと思います。
弁証法的に説明しますと、全盛期はすなわち、頂点ということで、この後は衰えていく、ということです。
満月は、あとは欠けてゆくだけ…
全盛期にこそ、衰退の原因が同時進行している、というわけです。
かつて教科書では、摂関政治の説明があってから武士の台頭を説明していたものだから、藤原道長と頼通の話をしてから、平将門の乱や藤原純友の乱を説明してしまっていました。
年代をちゃんと表記しているものの、子どもたちに、摂関政治の後、武士の反乱があった、という印象をあたえてしまっていたことがあります(現在の教科書では是正されています)。
また、「同時進行」というのは、教科書ではなかなかまとめにくく、藤原頼通の時代に
刀伊の入寇
平忠常の乱
前九年の役
などが起こっています。
貴族の政治、というと華やかなイメージが先行しがちですが、地方はかなり乱れていました。
藤原氏の全盛、とは、すなわち政治の要職を藤原氏が占めている、というだけで、政治の安定とは無関係な説明であることを忘れてはいけません。
生徒たちに、よくこういうことを言います。
少しくらい欠点があっても気にしてはいけない。
欠点や弱点で滅びることは無いんだよ。
滅び、とは、長所や強みを失ったときに起こるんだ。
藤原氏が栄えた理由とは、
・自分の娘を天皇と結婚させて生まれた子を天皇とする(天皇の外戚となる)。
・寄進によって荘園が集中した。
・他の貴族を退けた(他氏の排斥)。
の三つにまとめられます。
これを裏返せば、そのまま藤原氏の衰退の原因を説明できるんですよね。
藤原頼通は、天皇の外戚となることはできず、藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位しました。
後三条天皇は、荘園整理令を出し、藤原氏に集中した荘園にメスを入れます。
藤原氏によって排斥された他の貴族や寺院たちは、後に上皇と結んで院政を支えます。
さて、受験生のみなさん。
不得意な教科や苦手な分野で苦しんでいませんか?
安心してください。
実際の入試で、不得意教科や苦手分野で不合格になることはあまりないんですよね。
むしろ、なんとか落ちない点数にまとめられている場合が多い。
不合格になるときは、たいてい自分の得意な教科や分野を、入試の本番で失敗してしまったときなんです。
この教科は得意だから、この分野はもうできているから、と、苦手や不得意な教科ばかりを勉強してしまい、かんじんのできている教科を疎かにしてしまって、本番、点数とれるばすの教科で大きく失点してしまう…
欠点や弱点では滅びない。
長所を失ったときに滅びてしまう。
藤原氏の政治から学んでください。