743年
743年には、入試でよく出題されるできごとが二つありました。
天平十五年五月と十月。
まず五月に「墾田永年私財法」が出されました。
発令した天皇は
聖武天皇
です。
さて、奈良時代の政治方針は、基本的に唐の政治制度を模倣するところからスタートし、やがて日本の現状に合わせて改造されていく、ということになります。
一定の年齢になると(日本の場合は6歳以上の男女)口分田があたえられ、死後はその口分田は回収される…
これが班田収授。
しかし720年くらいからこの口分田が不足してくる。おまけに税負担に苦しむ農民たちが逃亡して浮浪する、戸籍を偽る、許可なく僧となるなど、税収が大きく落ち込むようになりました。
新しく土地を切り開く計画が立てられ(百万町歩開墾計画)、723年には「三世一身の法」が出されます。
この法令は、新しく土地を切り開いた者には(ただしもともとある施設を利用した場合は別)、子-孫-曾孫の三代まで私有をみとめる、というものでした。
しかし、三代目になると、土地を返さなくてはならなくなる。
そこで、743年に墾田永年私財法を出し、新しく土地を切り開いた者にはその土地の私有をみとめることにしたのです。
教科書的には、「これによって公地公民の制度がくずれた」「貴族や大寺院は土地を切り開いて荘園を増やしていった」と説明されるところです。
でも…
貴族や大寺院たちは、その開墾を逃亡し浮浪していた農民たちを雇って耕すことになったので、困窮していた農民救済に役立ったことはまちがいありません。
こういう部分はあまり学校教育では説明されないところですが、もう少し強調してもよいポイントだと思います。
さてさて、もう一つは十月に出されました。それが
「大仏造立の詔」
です。
聖武天皇といえば、「奈良の大仏を建てた」、ということをまっさきに思い出される方も多いと思います。
実際、建築は二年後にはじまり、しかも最初は紫香楽に造立される予定で「奈良の大仏」ではなくなっていた可能性もありました。
この詔自体も平城京ではなく紫香楽宮で出されています。
天下の富と勢いを持つ者はわたしである。
この富と勢いをもってすれば大仏をつくることなどたやすいことだ。
という言葉が記されています。
教科書や子どもが使う史料集にもこの言葉「だけ」が取り上げられている場合があり、おまけに、
「600万人の農民からしぼりとった税と、多くの農民を奴隷のようにこきつかって造らせたのだ。」
なんてヘーキでウソを教える教師も昔はいました。
ぜんぜんちがいます!
まず、聖武天皇「天下の富と勢いを持つ者はわたし」発言は、大仏造立の発言の一部を切り取ったもので、ほんとはこの後に言葉が続いているんです。
天下の富と勢いを持つ者はわたしである。
この富と勢いをもってすれば大仏をつくることはたやすいことだ。
でもね! そんなことして大仏つくっても意味が無いんだよ。
と、述べられています。
多くの人々の力を合わせてつくらないと意味がない、民たちが自発的に土などをもってきて造ることに協力したいというなら受け入れるんだ、と、発言されているんです。
実際、地方の役人に対して「大仏造りを名目に農民に新しい税を負荷してはいけない」という法令をわざわざ発しています。
そして貴族たちや大寺院に大仏造立を手伝わせています(資材と労働力の提供)。
え? そんな財源、貴族たちや大寺院にあるの?
そうなんですよ。
墾田永年私財法によってかれらに土地の私有をみとめ、開墾に浮浪農民たちを集めさせる。
余剰の富と労働力が貴族と大寺院に集積させているんですよ。
このタイミングで大仏造立の詔を出して、「律令制度の枠外」で大仏造りに協力させる…
墾田永年私財法と大仏造立の詔は、思わぬところで「つながっている」と考えてみるとおもしろいとおもいます。