~斎藤道三は二人いた~
何からお話ししようか、いろいろ迷うところですが、やはり皆さんご存知の有名な戦国大名の話からするのがよいと思います。
戦国大名、の、第一号とでも言うべき人物としては、どうでしょう、北条早雲か斎藤道三の二人をあげるのが妥当なところではないでしょうか。
さて、その斎藤道三。実は二人いた、というのはご存知だったでしょうか?
斎藤道三は、小説家の司馬遼太郎さんの『国盗り物語』がベストセラーとなり、大河ドラマなどにもとりあげられて一躍有名になりました。
わたしも学生時代、この本をよんで斎藤道三の魅力にとりつかれました。
でも、あるとき、ふと思ったんですよね。
よくみなさん、歴史上の人物で、徳川家康が好きだ、とか、宮本武蔵が好きだ、とか、織田信長が好きだ、とか言っちゃいますけど、よくよく考えたらそれは徳川家康が好きなのではなくて「山岡荘八が描いた徳川家康」が好き、「吉川英治が描いた宮本武蔵」が好き、「司馬遼太郎が描いた織田信長」が好き、というだけで、作家○○の描いた××が好き、ということに他ならないんですよね…
誰も実際の徳川家康、宮本武蔵、斎藤道三を知らないんですよ。
司馬遼太郎さんの『国盗り物語』は三部作で、斎藤道三・織田信長・明智光秀の三人を描いたものです。多くの人たちが、司馬遼太郎ワールドの三人を、歴史上の斎藤道三、織田信長、明智光秀と思っています。
ざっと小説の世界の中での斎藤道三を説明しますと…
京都の寺の僧であったが、商人となって財をなす。
みずからの富と、僧時代のツテをつかって美濃にわたって武士となり、美濃の守護大名土岐頼芸の家臣の一人となる。やがて出世をしてとうとう主の土岐頼芸を追放して美濃一国の国主となる…
僧から新左衛門となる。
武士として「西村」姓を名乗る。
やがて出世して「長井」姓を名乗る。
左近大夫の称号を得る。
土岐頼芸を討って「斎藤」姓を名乗る。
という流れとなります。
ところが、20世紀末から岐阜県の歴史編纂が進み、その過程でおどろくべき手紙が発見されました。近江の六角氏が美濃国の事情を説明した手紙が発見されたのです。
そこにはっきりとこう記されていました。
斎藤義龍の祖父、新左衛門は京都妙覚寺の僧だった。
やがて彼は西村の姓を名乗る。
それから長井と名前を変える。
その子、左近大夫のときに土岐氏を討ち、斎藤を名乗る。
つまり、僧から身を起こして商人となり、武士となった人物と、土岐頼芸を追放して斎藤を名乗った人物は、別人(親子)だったことがわかりました。
親子二代の「国盗り物語」だった、というわけです。
(このあたりの詳しい話は拙著『8割の日本人が知らなかったほんとうの日本史』に書いています。是非、ご一読ください。)
(次回に続く)