12月1日、Qさま特別編「今と昔でこんなに変わった!?学校タイムトラベルSP」に出演させていただき、みなさんおなじみ河合先生とまたご一緒できて、楽しい歴史の話をさせていただきました。
ご視聴いただいたみなさま、ありがとうございました。
今回は世界史の話もちらっとさせていただいたのですが…
「万里の長城」
言うまでもなく世界遺産で、宇宙から見ても見ることができる、といわれた「城壁」です。
秦の始皇帝が作った、ということは間違いではありませんが、「創った」わけではありません。
一般に遊牧民族の侵入にそなえるためだ、と、考えられていますし、学校でもそのように教えますが(これは間違いではありません)、秦による中国統一以前より、各国が築城しており、しかも遊牧民族からの防御だけでなく、隣国の備えとしても作られていたものです。
現在、みなさんがよくご存知の長城は、
明帝国
の時代に修築されたもので、だいたい16世紀のものですから、秦の時代から2000年近く経って作られたものです。
当時のものは、「城」というより土手のようなもので(河川の堤防を想像していただければだいたい当てはまります)、一部「土壁」のように造られてはいましたが、ようするに「馬」による攻撃を阻止できればよい、という考え方でつくられました。
中国には、華夷思想、というのがあり、戦国時代の一つ前の時代、春秋時代では
「尊王攘夷」
という考え方がありました。
あれ?? そんのうじょうい?? それ、幕末の日本の思想では??
と、思われた日本史ファン、幕末ファンの方もおられると思いますが、もともと中国の春秋時代の考え方です。
周王室をまもって、蛮夷をしりぞけるのだ、という考え方ですね。
共通の敵ができると団結できるの法則です。
力は失ったものの、周王室は権威が残っていて、それを中心に本来なら対立しているはずの諸侯が、共通の敵、遊牧民族に対抗してまとまろうという時代でした。
中国側の記録だけみると、どうしても周辺民族は野蛮で遅れていて、文明からほど遠いものとして描かれていますが、実際には何度も侵略を受けて、何度も敗退している、というのが常態でした。
そもそもほんとに中国が強ければ「長城」は不要ですよね。侵入をふせぐ、というのは「受け」の姿勢です。
秦は西方では遊牧民の侵入を受け、東方では戦国6ヶ国に対峙していて、よって富国強兵を図らねば存続できない状態にありました。
こうして他国にはない合理的で実践的な思想が生まれ、独裁的な王の強権的・軍事的組織ができあがります。
蒙恬、という有能な将軍が出現して匈奴(当時の強力な遊牧民族。ただし、実際は匈奴以外の民族もいましたが、当時は中国側はみな匈奴と称していたようです。)を退け、再度の侵入に栓をするように長城を築城しました。
やはり秦も、匈奴には苦戦していたようです。
やや話を先に進めると、匈奴防衛のための長城建築と辺境防備に、始皇帝の長子の扶蘇と蒙恬が就いているスキに、始皇帝が死去したことをいいことに、末子の胡亥を立てる側近グループが宮廷クーデターを起こす、ということになり、内紛でいっきに秦の国力が低下してしまいます。
占い師が始皇帝に
秦を滅ぼすのは「胡」なり
という予言をしたことがあります。
始皇帝は「胡」を「えびす」すなわち周辺民族と理解して匈奴征伐に力を入れたのですが、実際は息子の「胡亥」の無能から滅びることになり
「胡とは胡亥のことだったか!」
というオチとなりました。
さて、この万里の長城ですが、以後、何度も時の政権によって修築されていきます。
ところが、最近の研究では、「これ、ほんとに遊牧民に備えたの??」という考え方が主流になってきました。
そもそもの秦にしても、遊牧民族に備えたことは間違いないのですが、どうも、人民を労役させる、という新しい税システムの稼働のために建設が進められたのではないか、という考え方が出てきました。
秦は道路の整備、陵の建造などなど、土木事業を大々的に進めていきます。山をも切り開いて平地にした、といいますからすさまじいものです。
当時の税は、ヒトにかかるものとモノにかかるものの二種類がありました。
人を働かせる… じゃあ何に使うのか… 土木事業をしよう、というわけです。
歴史では、いろいろな事象に関して「目的と効果」を分けて説明しなくてはいけません。
秦の時代の長城の目的は「匈奴対策」、そして効果として中央集権システムを稼働して体制の強化を図る、というものでした。
しかし、それ以後、目的そのものが後者にうつったとしか思えないようになります。
万里の長城を訪れた方は
え? こんな山の中に長城つくる意味ある?
と、思わなかったでしょうか? どう考えても遊牧民族が馬にのってやってこられるような場所ではないところまで、長城は連なっていきます。
長城はいつしか「象徴」となっていきました。
「華」と「夷」の境界
中央集権体制の保持のための巨大な装置として…
対外政策は内政の反映である場合が多い… 目的から生まれた効果がやがて、目的そのものに変わっていく…
歴史の中では、けっこうよくある話です。