先週一週間、更新ができずにおりました。
いろいろな学校業務に専念いたしておりました。
さてさて、中学2年の授業で、現在は鎌倉時代が終わろうとしています。幕府の滅亡後、南北朝時代の話から室町時代へ、となるのですが、その前に、一つの時代の「文化史」の講義をします。
これはたいていの教科書の構成がそうで、一つの時代が終わると、その時代の文化史の授業をします。飛鳥時代が終わると、飛鳥文化と白鳳文化の単元があり、奈良時代が終わると、天平文化の単元がある… というように進んでいきます。
以前に、「教科書から消えたもの」の話をさせていただいたときに、「~文化の建物」として授業でいろいろなものを取り上げるときに、ちょっと注意が必要である、という話をしました。
たとえば、「金閣」は昭和の時代に焼失して再建されましたから(よって現在、金閣は国宝ではありません。上の乗っかっている焼失をまぬがれた鳳凰のみ国宝。)、あの建物は断じて「現代」のものです。
北山文化風の建物ではありますが、室町時代の建築物として「金閣」を紹介するのは、厳密にはおかしい、ということになってしまいます。
これは案外と入試にも反映されていて、中学受験くらいですと金閣は頻出ですが、大学入試では、文化史の中で金閣が取り上げられることが格段に減少しました。
鎌倉時代の建物などもそうだ、という話をしました。
円覚寺舎利殿
は、実は室町時代の建物なので、鎌倉時代の文化の建築物としては紹介しなくなりつつあります。
実際、小学校の教科書からは、東大寺南大門は明記されていますが円覚寺舎利殿は消えてしまい、大学入試でもことさら「鎌倉時代の建物」として出題はされなくなっています。
さてさて、学校の授業で、鎌倉時代の文化を紹介するときは、
「コト」と「モノ」
に分けて紹介します。「コト」とは精神文化といいましょうか、文学の話。
そして「モノ」の話では彫刻・建築物を紹介します。
むろん建築様式としての、「大仏様」「禅宗様」の例として、東大寺南大門と円覚寺舎利殿を紹介しますが、円覚寺舎利殿を鎌倉時代の建物、と、紹介するのは正直抵抗があります。
で、彫刻なのですが、これはほとんど仏像の話です。
鎌倉時代は、一言で申し上げると文化史的には
「再構築」
の時代でした。
治承・寿永の乱の結果、奈良の多くの寺院が被害を受け、とくに東大寺の焼失というのは、大きな文化的損失でした。
が、しかし、「破壊」があるからこそ「創造」があります。
東大寺の関係者の方々には怒られちゃうかもしれませんが、あの“破壊”がなければ、東大寺はとっくに廃れて、現在に残る世界的な美術品は生まれなかった、と、思うんですよ。
重源の努力については、また別の機会に詳しく説明しますから割愛させていただきますが、鎌倉時代に、奈良は大きく復興にむけて(文芸復興)動き出します。
ですから、鎌倉時代の文化の代表的なものは、
東大寺と興福寺
に集中しています。
その興福寺の国宝の中に、
天燈鬼・龍燈鬼
というものがあります。
生徒たちに、写真でこれらを見せますと、「あ~ かわいい!」という反応が出てきます。
え? か、かわいい??
おそろしげな表情で、色彩もけっしてパステルカラーのふわふわ系でもないのに、女子生徒たちの目から「かわいい」らしいのです。(女子中学生くらいの“かわいい”の価値基準は、なかなかおっさんたちには理解不能です。)
この二つの彫刻、わたしは学生時代から大好きで、小さなレプリカも買って持っています。
鎌倉時代、日本のミケランジェロとでもいうべき天才彫刻家およびその集団が出現したことも鎌倉ルネサンスを助長しました。
運慶・快慶
ならびにその弟子(子どもも含む)たちの活躍です。東大寺南大門の金剛力士像はもちろん、興福寺の仏像群に彼らは大きくかかわっています。
興福寺によりますと、西金堂が焼失したとき、天燈鬼・龍燈鬼の二像は火災からは免れたものの、どうやら壊れて分解してしまったそうです。そのとき“胎内”から、
法橋康弁
と記された書付が出て来たようで、これが天才彫刻家の一人、康弁の作品であることがわかった、というのです。
西金堂の消失は1717年ですから江戸時代。徳川8代将軍吉宗の時代、ということになります。
さて、バラバラになってしまった、この二つの像、いったいどうなったのか?
なんと明治時代まで、そのままバラバラのまま保管されていたようで、いや、それどころか、明治時代に、仏像修理のための「古材」として、宮大工さんや彫刻家に提供されていたんです。
な、なんと、康弁の天下の名品が、それがいったい何なのか不明なまま、あやうく失われてしまうところだったのです。
下げ渡された職人さんのお一人が、
え… これ、組み立てたら、何かできるんじゃないか?
と気づかれて(お~ よくぞ気づいてくれました!)、組み立ててみたら、なんとあの二つの像ができあがった、というわけなんです。
この組み立てた人が
森川杜園
という方です。
森川さんは、だんだん形ができあがっていく中で“何か”をかついでいる像ができあがっていくことに気づきました。
あれま… いったい何をかついていたのやら…
古材をあさってみても、かついていたものがみつからない… どうしよう…
で、「灯籠」を持たせよう、と、灯籠をつくってのせたところ、「おお、なかなかええもんができたぞ!」となって現在の天燈鬼・龍燈鬼になりました。
え… あれ? もともと灯籠をかついでいたのではないの??
はい。
あの二基の灯籠は森川さんのアイデアでくつつけられたもので、実際、もともと何をかついでいたか、何を頭にのせていたかわからないもんなんです。
天燈鬼・龍燈鬼は、1215年(建保三年)に康弁がつくったものです。
これは間違いありません。
しかし、1717年(享保二年)にいったん失われ、森川杜園によって再生されて灯籠をかつぐことになりました。
彫刻・仏像・建築物…
教科書に紹介されるときの説明をよくごらんください。
「~時代につくられた」ということは正しくても、「今のものが」「それ」とは限らない、ということなんです。