体育の日のあたり、旧暦9月に、京都の粟田神社の祭礼がおこなわます。(まさにおこなわれています。)
昨夜は、“夜渡り神事”。
平成二十年より、古い記録にも残っていた
「風流灯篭」
が復興されました。
昨夜、ちょうど絶妙のタイミングで東山三条で“夜渡り神事”に遭遇し、拝見させていただくことができました。
神の移動、というのは、基本的に夜におこなわれます。
神道では、夜は神聖、清浄な世界…
夏の祭りというのも、むろん素晴らしいのですが、ちょうど気温が下がってひんやりとし始めた秋の夜の祭礼というのは、なんとも清澄な感じがしてよいものです。
祭りの始まりは、西暦1001年。
神童が祇園社の神人に瑞祥の出現を預言しました。
祇園社の東北に瑞祥が現れる。そこに神幸せよ。
その場所が粟田神社。
大納言山科言継の日記では、
粟田神社の風流灯篭が吉田へむかうらしい。
夕方見に行く。
大きな灯篭が二十。
なんと大きさは二間四方。
こんなんみたことも聞いたこともない。
すげぇ~
と、記されています。
二間四方… 二間はざっと3.6m四方、てことですね。
こりゃでかい。
青蓮院文書『華頂要略』では
供奉に氏子たちが灯篭に火を入れる。
神輿に先行してその数、百以上。
さまざまな“つくりもの”あり。
身分の貴きも賤しきも、みんな集まって大騒ぎ。
なかなか素晴らしい。
“つくりもの”
というのがポイントで、いろいろな動物や怪物?などが象られて造られていたと考えられています。
これを平成二十年、京都造形芸術大学などのみなさんのご協力を得て再現することに成功し、現在でもこの夜渡り神事で観られるようになったのです。
その風流灯篭は“粟田大灯呂”と呼ばれ、氏子さんの町内を巡行しています。
いや、この神事、もっと多くの人に見てもらいたいものです。
白きつねさん
からす天狗さん
一つ目の大入道
なかなか壮観で、山科大納言の驚きを昨夜、わたしも共感できました。
ジャパニーズ・エレクトリカルパレード イン 粟田口
みなさんも機会があれば、また、来年、是非、粟田神社の祭礼におこしください。
あ、いや、実は15日まで神事が続きます。
本日は本来なら神幸、還幸。
ただ、残念ながら台風19号の影響で中止だそうです。(詳しくは粟田神社のHPでご確認ください。15日の神事は予定通りのようです。)
残念ですが、これもまた御神意、ということで。
本地垂迹説
というのがあります。
神は、本来の仏さまがこの世に姿を「権(か)りに現(あらわ)された」もの、という思想です。
粟田神社の本地仏は薬師如来。
この薬師如来は明治の神仏分離で青蓮院に預けられることになりました。
神輿は清蓮院の四脚門より入り、そして青蓮門院門主自らが加持をおこなう…
日本古代史ファンなら必見の、今も続く、本地垂迹説の具現というわけです。
来年、是非、粟田神社へお立ち寄りください。
薬師如来さまは、病を癒し、幸福をもたらしてくれる仏さま…
青蓮院には、かつて療病院が蘭学者明石博高によって創設され、1872年、ドイツ人医師らによる診療を開始しています。
この地で京都の医学教育が始まった、というのも、こうした由来があったわけです。
1880年、河原町広小路に移転、そして1921年、京都府立医科大学になり、附属病院が生まれました。
粟田神社と青蓮院。
この平安と明治の、本地垂迹と神仏分離がなければ、現在の京都の医療はどうなっていたのか…
と考えると、なかなかおもしろく、歴史は深~いところでつながっている、という話です。