以前にお話ししましたように、戦国時代の武将やそれにまつわる話は、いわゆる
“江戸フィルター”
というのが、どうしてもかかってしまいます。
まず、「家譜」という、大名家の「自分史」というべきものがあります。
これらの編纂は17~18世紀に流行しました。
自分の家ならびにご先祖さまを顕彰する、というものです。
どうしても、ちょっと「盛られた」話になってしまいます。
学者などに大名が依頼する場合があるのですが、依頼された学者も、どうしても、気に入られるように、相手がのぞむようなものに仕立ててしまいます。
それにブログやネットに「公開」するようなものではなく、代々後継者が読む、家臣たちだけに読ませる、という性格のものが多いので、少々ホラ話を吹いても誰からも苦情は出ません。
いかに手柄を立てたか。
手柄のわりには領地が少ない理由は何か。
ほんとはこうだったけれど、表向きはそうしている。
というような話が織り込まれていきます。
いきおい、「徳川に天下をとらせたのはおれさまだ」「もうちょっとでほんとは天下がとれていたんだけれども」などなど、そういう類の話が説明されていきます。
また、徳川にあっては、「甲・越・相」の話は、どうしても特別な意味を持ちます。
「甲」は、甲斐、つまり武田信玄の話です。
徳川の旗本や譜代衆には、御先祖さまが、旧武田家に仕えていた者が多いのです。
三河以来の家臣たちに、ちょっと背伸びして自慢したい…
なんといっても神君家康公を、三方原の戦いで破っているのは信玄です。
旧武田家臣にとっては、これほど名誉な話はありませんし、家康を破った信玄は偉大でなくては、逆に負けた家康の値打ちが下がりますから、武田信玄の話は、どうしても「過大」に評価されます。
おかげで後継者の武田勝頼は“無能”のように描かれてしまっていますが、よく考えてみたら、勝頼よりのときに武田家の版図は最大領域となっていますから、勝頼はけっして無能な政治家、軍人ではなかったはずです。
勝頼の評価も近年は変化してきています。
「越」は、越後、つまり上杉謙信の話です。
なんといっても、武田信玄と戦っていたのは上杉謙信。武田信玄と互角、あるいはそれ以上に戦って苦戦せしめた人物ですから、謙信を低く評価すると偉大な信玄の値打ちが下がってしまいます。
おもしろいのは18世紀に入ってからのことです。
8代将軍徳川吉宗は、いわば御三家から(徳川の本家筋以外から)将軍となった人物で、従来の譜代衆を尊重しつつも、独自色を出さなくてはならない立場でした。
吉宗につきそっている家臣たちにしても、譜代衆たちにちょっぴり対抗したいところ…
吉宗の家臣に、越後出身者がいて、先祖が謙信に仕えていた、という者がいて武田の「甲州軍学」に対抗して「越後軍学」というのを提唱します。
武田・上杉の両ひいき勢力が相互に張り合いつつも、相手のすごさも認め合いながらいろいろな逸話を語っていくようになります。
戦国大名たちの中で、とびぬけて信玄と謙信の評価が高いのはこのためです。
「相」は、相模、つまり北条氏の話です。
徳川の譜代衆は、三河、甲斐らに加えて、関東入り後に臣下となった、元北条氏の家臣たちもいました。
彼らは、初代の早雲を持ち上げますし、上杉謙信と戦ったかつての北条氏の栄光を背景に、三河衆や甲斐州に“対抗”していきます。
「甲・越・相」の“三国志”とでもいうべき逸話が詳細に記録されているのもこれらの影響が大きいと思います。
だからといってフィクションではありません。三つの昔話の「噛み合う」話でなければ伝承されてもウソだと淘汰されますからね。
誇張はあっても虚構ではありません。
企業が別の企業に吸収合併されたり、すごいと呼ばれた企業からやってきた人たちって、前の企業のすごいところや“伝説”、そこでの自分の仕事ぶりを、ちょっぴり飾って説明したりしますよね。
そういう「小さい自慢」が100年以上かけて練り上げられて“戦国ファンタジー”が生まれてしまう場合があるんですよね…
上杉謙信も武田信玄も、そういう虚飾がなくても、十分すぎるくらい、戦国大名としては一流なのに、かえって「盛られた」話のおかげでほんとうの実績のほうが伝えられなかったり、かすんでしまったりするのは残念なことです。
また、17世紀になって泰平の世の中になると、武士たちの中でかえって戦国時代の気風というのが懐かしがられたり憧れられたりするようになり、「机上の空論」がもてはやされるようにもなりました。
軍学
というのがそれで、著名な戦国大名の名を借りて、自分の説を流布して飯のタネにしようとする輩も出てくるようになります。
中国の古典の逸話をちょっと改造して昔の武将たちの話にすりかえていく、みたいなこともおこなわれるようになりました。
武田軍が「鶴翼」に陣取り、上杉軍が「車がかり」の戦法で戦った、と、さも見てきたかのような、そうして独特の“ターム(術語)”で戦国時代の戦法を語るなど、ますます“ファンタジー”が深化していきました。
さらにまた、商人たちが「戦国時代商法」を始めました。
大名、旗本たちが、尊敬する戦国武将などのアイテム、肖像画などを探している、ということを知り、模造品や偽造品、ほんとにその人の肖像かどうかあやしい絵なども、来歴を添えて、ホンモノとして売る、というようなこともするようになりました。
おかげで、現在でも、骨董商のみなさんが苦労して真贋を判断しなくてはならなくなっているわけです。
骨董品にニセモノが多いように、その武将ゆかりの文書や所持品もまたニセモノが多いのです。
「真」なるものも、確実に存在しているのですが、「贋」と紛れて、これまた研究者たちの頭を悩ませる、ということになっています。
それらが、年月を重ねて、少しずつ少しずつバイアスをかけていって、現在で元の形とはすっかりかわった人物像ができあがっている、ということもあるわけです。
さて、21世紀に入って、新しい戦国史が次第にあきらかになってきています。
川中島の戦いの、史実として考えられる部分(といってもこれも一つの学説なのですが)を紹介していきましょう。
(次回に続く)