こはにわ先生 再び東京へ(5) | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

9月1日放送のQさまに出演させていただいたときのことです。
ジャニーズのアイドル(セクシーゾーン)、中島健人さんと、番組中に少しお話しをさせていただきました。
楽屋裏でも、礼儀正しく、明るくはきはきしていて、きっと誰からも好かれること間違いなしの好青年だと思いました。

さてさて、その健人さんが、おもしろい話をされていました。

「上杉謙信って、実は女だったという説を聞いたことがあって…」

ほうほう、と、私は思いました。
いや、けっこう謙信女人説、というのは一時話題になったことがあって、けっしてばかにしてはいけない話ではあるんです。
西の赤松、東の今川で、それぞれ女性の戦国大名が実在していたので、別に戦国大名に女性がいても驚くべきことではありません。ただ、謙信の場合は史料的裏付けが乏しいんですよね。

健人んは続けます。

「で、ほんとは謙信は武田信玄のことが好きでぇ、一騎打ちに行ったのは、信玄にキスをしに行ったんじゃなかったのかなって…」

 え…

さすがにびっくりしてしまいました。思わず私は、

「ファンタジーですねぇ~」

と言うてしまいました。

このお話しで出てきた上杉謙信と武田信玄の「一騎打ち」は、川中島の戦いで出てくる「場面」です。
戦国時代の合戦の中でも、戦国時代ファンにとってはたまらない名シーンの一つなのですが、これは現在では史実であるとは考えられていません。
いや、そもそも、合計5回行われたといわれている川中島の戦いというのは、果たして実体があったのでしょうか…

西暦2000年に入って、戦国史の研究成果が一気に表に出てきて、いろいろなことが明らかになってきました。

まず、最初に申し上げておきますと、上杉謙信と武田信玄の「一騎打ち」はともかく、

 川中島の戦い

は、フィクションではけっしてありません。少なくとも、川中島において、相互に1000人以上の兵力を投入して戦っています。

歴史の研究者たちが、「~はなかった」という場合の多くは、一級史料や遺跡、遺物によって追確認ができない、というのがほとんどです。
ほんとにあったかもしれないけれど、確認できない、その他の色々な状況から考えて認められない、という意味です。

一般的には、川中島の戦いは、1553~1564年の間に、計5回おこなわれている、と、考えられています。
ちなみに、謙信・信玄の「一騎打ち」は第4回の戦いで、とくに第4回は『甲陽軍鑑』によって詳細に物語られていて有名です。

川中島の戦いについては、『甲陽軍鑑』『川中島五箇度合戦之次第』『武田三代記』『北越軍談』『北越軍記』について詳細に語られ、昔のドラマや映画、小説の多くはこれらに基づいて制作されてきました。

ただ、これらは実は「史料」ではありません。
ほとんど歴史小説とでもいうべきもので、ここに取り上げられている逸話や戦いの展開は、「ほとんどなかった」と指摘されてもしかたがない部分が多いのです。

なぜ、このようなことが史実として伝えられてしまったか、どういう背景で、“戦国ファンタジー”とでもいうべき逸話がつくられてしまったか、そうして史料的に確認できる史実はどこまでなのか、ということを少し説明していきたいと思います。

(次回に続く)