古代ローマの誤解 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

コヤブ歴史堂で、ついに「世界史」の逸話が登場しました。

 現在、世界で起こっていることは
 かつてローマですでに起こっていた

とはよく言われることです。

なかなかローマの歴史はおもしろい。

ギリシアやローマの歴史の中で、ちょっと注意しなくてはならない言葉があります。それが

 「奴隷」と「皇帝」

です。

みなさんは、奴隷、というと、何やら足が鎖につながれていて、鞭で打たれて重労働させられていた、というイメージがあるんではないでしょうか?

でも、ローマの「奴隷」の中には学者もいたし、有力者の子弟の家庭教師をしている者もいました。
ローマにたいする功績があったり、一定以上の金をためて支払ったりすれば、奴隷の身分から解放される場合もありました。
ローマの「身分」は、流動性があるもので、生まれたら生涯平民、生涯貴族、ということはなく、のぼるも落ちるも本人の“自由”でした。

古代ローマの「市民」というのは、自分の土地を持っていて、その生産物で生計をたてている、という場合がほとんどです。
現在でいえば、土地所有者や会社経営者だけが“市民”。
土地など資産を持たず、一定の拘束力を受けて、他人に雇われて生活している者は、下級市民や奴隷、ということになってしまいます。

ですから、「奴隷」という言葉以外の訳語をローマでは使ったほうがよいのですが…

ローマではありませんが、この「奴隷」という言葉は世界史の教科書でもよく出てきます。
イスラーム世界のところでも、「マムルーク」という言葉が出てくるのですが、昔は「白人奴隷」と書かれていて、「騎射にすぐれていた」と記されています。

確かに身体の自由がなく、貴族や支配者に隷属していますが、でも、この基準を適用すると、平安時代中期以降に出てくる「武士」も「奴隷」になりますよね。

貴族に「さぶらふ」者、であることから「侍」という言葉が生まれました。
貴族に従い、しかも身分も低い… で、軍事力に使用されていた、というなら、マムルークによく似ています。
後にマムルークたちがイスラーム世界で軍事政権を作ってしまうところなんか、日本の武士たちが幕府をつくったところまでソックリです。
イスラーム世界のカリフからスルタンの称号をもらって政治をする、なんて、天皇から征夷大将軍の称号もらって政治をする、という“形”と同じですからね。

ちょっと話がそれてしまいました。ローマにもどしますと…

ふだん私たちが持っている「奴隷」というイメージは、ローマに関しては重ねないほうがよい、ということです。

そして

「皇帝」

という言葉… わたしたちは、皇帝というと、アジア的な専制君主をイメージしてしまいます。複数の民族を従える「王の中の王」。

番組でもとりあげた“アウグストゥス”をはじめとするローマの皇帝は、ちょっとそういう存在ではありませんでした(4世紀以降、ディオクレティアヌス帝からがそのイメージと重なります)。

まず、アウグストゥスは称号です。「尊厳なる者」という意味。
彼の名は、オクタヴィアヌス。現在の教科書では「ヴィ」ではなく、

 オクタウィアヌス

と「ウィ」と表記されるようになりました。

それまでのローマのは共和政で、元老院という有力者たちの集まりが政治をおこない、執政官(コンスル)を選出して行政をゆだねました。
ほかにも儀式をおこなう神官がいたり、将軍がいたり、一人の人物が独裁的な実権を握ることがないよう、互いにけん制し合う、パワー・オブ・バランスが機能していました。

オクタウィアヌスの義父は、このローマの伝統を破り(破ろうとしたと共和派から思われた)、独裁政治をおこなった

 カエサル

でした。

そして、カエサルはローマの共和政の伝統を脅かす者とされ、暗殺されることになります。
その後、三人の有力者があらわれ(三頭政治)、その中で、元カエサルの部下アントニウスと養子のオクタウィアヌスが戦い(アクティウムの海戦)、オクタウィアヌスが勝利しました。

ローマに兵を率いて凱旋してきたオクタウィアヌスは、まだ、一人の独裁者による政治にアレルギー反応が強い市民や元老院に対するため、

 あくまでも共和政を尊重して政治をします

という「形式」をふみ、

「わたしなどは、ローマの第一市民(プリンケプス)にすぎません。」

と“謙虚”にふるまいます。でも、軍事力を背景に「謙虚な態度」で迫られる、というのは、ちょっとかえって凄味がありますよね。

で、彼は、それまで不文律的に兼任されてこなかったローマの政治の要職を、すべて一人で兼任する、という形式をとったわけです。

 総理大臣兼防衛大臣兼外務大臣兼財務大臣兼法務大臣兼国家公安委員長兼警察庁長官兼最高裁判所長官兼衆議院参議院議長兼東京都知事兼警視総監

みたいなものです。

それら要職の兼任者を、後の政治家が「皇帝」とまとめて呼んでいるわけです。
番組内では、「大統領に近い」という表現をしましたが、たしかにそういう一面もローマの“皇帝”にはありました。
ローマ市民の“支持”がなければ皇帝の地位にはとどまれませんでした。

でも、なかなかいまさら「奴隷」と「皇帝」という言葉も変えにくいところ…
ああ、ほんとはそういうもんだったんだ、という感じで、ローマの奴隷や皇帝をおおざっぱにとらえておいてもよい、と、思います。