何やら前回の話の続きようですが…
「新選組」の「選」は「選」なのか「撰」なのか…
昔の字だから「撰」じゃないの? となりますが、これ、どっちでもよいんです。
当時の史料にも二つの使われ方がありますし、近藤勇他、隊士たちも手紙や記録などの中で併用しています。こっちでなければならない、ほんとはこっちだっ ということは史料的には確認できません。
ドラマや小説などの新選組の描かれ方というのは、史実に即したものと、ちょっと小説家や脚本家、演出家の“空想”によるものがあります。
ちょっと「区別」しておこうと思うのですが…
まず、
★ 新選組は、暗殺集団ではない?
ということです。
何やら幕府や京都守護職から特別な使命を帯びた、特別な集団であるかのイメージがありますがそんなことはありません。
京都での担当範囲は祇園などの歓楽街でした。もちろん容疑者追跡などの行動からこの範囲を逸脱することはありましたが、各組織が地域を分担して治安維持にあたっていました。(御所周辺は会津藩、町人屋敷や商家がある地域は京都見廻組、橋・交通の要所などは町奉行所が担当していました。
(いや、たしか伏見も担当していたのでは? となりそうですが、実は伏見は「京都」ではありません。諸隊に比べてずいぶんと格下扱いされていたことがわかります。)
暗殺集団ではない、というのはどういうことかと申しますと、彼らの行動の目的は
捕縛
つまり、「逮捕」にあったので、幕末の志士たちを発見しては斬りまくっていった、というのは誤解です。
1863年~1867年の五年間で、彼らが殺害したのは25名ほどです。諸説ありますが30名は越えていません。そのうち7人は有名な池田屋事件のときで、あれは少数で踏み込んでの乱闘であったから例外といってもよく、実際、池田屋事件では
殺害 7人
捕縛23人
ですから、あの乱闘の中でも「逮捕」に努力していたことが察せられます。ちなみにケガ人は4人だけですから、“乱闘”の様子も、ドラマや小説での描かれ方とはちょっと違うような感じですね。
★ 隊旗を掲げて京都の町をねり歩いていない?
というのも新選組の実像です。
新選組というと映画やドラマでは「誠」と書かれた旗を先頭に、あの“ダンダラ”羽織を身に着けて肩で風きって歩く様子が描かれていますが、そんなことはありません。
あのダンダラ羽織は、新撰組の最初の1年だけ使用されていたもので、池田屋事件以後は使用されていた記録は無く、目撃談も皆無です。
以前に、“時代劇”のおかしな話をいくつかしたことがあります。
役人たちが「御用」と書かれた提灯を持って逮捕に向かう、という姿はほとんどなかった、と、説明しましたが、新選組の「活動」の様子も、ドラマや映画の“演出”であると思っていただいたほうがよいと思います。
当時の町人たちの記録や、同時代の他の武士たち、また隊士たちの話によると、池田屋事件以降は、
黒の羽織 黒袴
だったようで、「黒いカッコしたやつはみんな新選組だった」という証言がたくさんあります。
(個人的にはこっちのいでたちのほうがカッコいいとは思うんですが…)
★ 「局中法度」はフィクション?
新選組というと、“鉄の団結”“血の掟”というイメージがあり、その象徴が五ヶ条からなる「局中法度」である、と、考えられている人がいますが、これは小説がつくり出した虚構です。
実際は、「私ノ闘争不許」の第五条は存在せず、四ヶ条で(永倉新八の回顧)、当時は「禁令」というような名称であったようです。
★ 新選組が殺害した人数は身内の隊士のほうが多い?
「私ノ闘争不許」はフィクション、幕末の志士たちを25人殺害した、ということを申しました。おもしろいことに鳥羽伏見の戦い以前の新選組の死者は45人いるのですが、そのうち、39人は内紛というか隊内の闘争で死んだ人たちです。
他人にやさしく身内に厳しい新選組、という感じです。(組織のための組織というような感じですね。)
★ 戦い方は、わりと“卑怯”な手法が多い?
「士道ニ背キ間敷事」と、「武士道に反すようなことはするな」と禁令に示しているはずですが、三条制札事件では、8人を捕縛するのに34人がかりで、油小路事件では7人を36人で襲撃している計算になり、少数で斬り込んだのは池田屋事件のみ(土方隊が途中から合流して多数になります)。まぁ、卑怯というより、「捕縛」が目的の集団ですから、これは当然。
これも敵に対してよりも、自身の行為、言動に関する戒め、という意味合いが強いんでしょう。
★ 軍事訓練、軍備は、フランス式だった?
新選組というと、過激保守派で、武士道が徹底された存在というイメージが強く、武芸に秀でた個人が小説やドラマで描かれているものですから、洋式化された官軍、時代遅れの幕府側、というステロタイプが定着しています。
実際、幕末の幕府側の軍備や装備はかなり近代化されていて、むしろ薩長の側のほうが「見た目」は時代遅れな感があったようです。
新選組は西本願寺などで演習をしていますが、近代的な大砲の砲術訓練や洋式小銃の使用の訓練をしており、軍事訓練はフランス式でした。
新選組の描かれ方、というのは、時代によって極端です。
明治に入って、薩長が政権を握ったわけで、当然、新選組は極端に低い評価を受けました。
戦前の教育の反動も後押し、戦後は新選組を主人公とする物語や小説がたくさんあらわれ、今度は幕末のヒーローとして描かれるようになり、登場人物の虚飾や過大評価が進みました。
歴史上の出来事、人物群の中でも、その評価のふり幅が大きい例です。
右に振れば左に引っ張られ
左に降れば右に引っ張られ
いまだに評価は定まりません。
新選組よ、どこに行く
というところでしょうか…