あまりに見事だ…
無数の人夫たちによって、みるみる濠が埋められていく…
古来こんな戦いがあったか…
幸村は空を見上げた。すいこまれそうなくらい澄んだ天が広がり、冷たいが実に心地よい風が吹き抜けていく。
修理(しゅり)め、さぞかしあわてていることだろうよ。
幸村は、得意げに徳川家康との和睦を成立させたことを自慢していた大野修理(大野治長)の顔を思い出していた。
和睦の条件として外堀は徳川が、内堀は豊臣が埋めることになっていたハズだった。
ゆっくりと堀を埋めて時間稼ぎをする…
ところが徳川は、大量の人夫を動員し、あっという間に外堀を埋めてしまい、「御手伝い馳走いたし候」と内堀の工事も開始してしまった。
今、大坂城のすべての濠が埋められていく…
冬の陣は、1614年11月に始まった。
徳川家康は大軍で大坂城を包囲したものの、あきらかに攻めあぐねていた。
とくに真田幸村が、その見事な戦術眼によって設営した橋頭堡とでもいうべき陣地、通称“真田丸”は、包囲する敵軍に突出する形で縄張り(設計)され、そこから効果的に繰り出される弓矢・鉄砲によって、あたかも吸血鬼のように包囲軍の兵たちの生き血をしぼりとっていた。
あれはなんとかならんのかっ!
前線に視察に来ていた徳川家康は、さすが歴戦の老将である。ただちにあの真田丸一個が、全軍の包囲戦に大きな障害になっていることを見抜いていた。
戦さが始まる前に、なぜ誰も気づかなかったのか。
あんなところに陣地を作らせることを黙って見過ごすとは!
そろいもそろって大タワケばかりじゃっ
退けば打って出て、おせば退き、真田丸からの銃撃によって兵たちがなぎたおされていく…
幸村の用兵の見事さに比べ、攻める自分の軍勢たちのあまりの愚かな戦さぶりに、家康はほとほと呆れ果てていた。
苛立つ家康の側に、父の不機嫌をおそれておろおろする秀忠とその家臣たちがいた。
こいつがもっとしっかりしておれば、この齢で戦さ働きなんぞせずとも澄んだものを…
だが、戦(いくさ)の時代はこれで最後だ。
ここで決着をつければ政(まつりごと)の時代が来る。
そうすれば、秀忠の周りにおる、戦さはできぬが役人としては有能なこやつらが役立つ時が来るというものだ。
家康には一つの計画があった。難攻不落の大坂城を、手品のように陥落させる大しかけが…
しかし、その計画も、このままでは幸村一人のために実現しない。
本多正純を呼べっ!
(次回に続く)