暑中お見舞い 涼しいお話 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

 削り氷にあまづら入れて
 新しき金まりに入れたる

清少納言の『枕草子』に記されているこの一節、わたし、大好きなんですよ。
「削り氷」「金まり」という言葉の響き、なんか冷たさをよく伝えていていい感じではありませんか?

三十九段「あてなるもの」に収められているものです。

 あてなるもの

とは、“お上品なもの”というように訳されるのでしょうか。
「あてなり」とは“高貴である”という意味です。

平安時代、「夏に氷を食する」というのは、まさに“高貴な”“やんごとなき”人々でなければできないことでした。

中学生のときでしたか、この『枕草子』の一節を初めて読んだとき、「あ~ この時代の人もかき氷を食べてたんや~」と思ったのと同時に、「え… でも、氷、どうやってつくってたんやろ…」と思ってしまいました。

むろん製氷などこの時代はできません。
かんたんに申しますと、冬に降った雪やできた氷を、夏まで保存しておく、という方法をとっていたのです。(専用の池で凍らせたものを用いる場合もありました。)

「氷室(ひむろ)」という貯蔵穴に保存し、夏に取り出して都に運ぶ、というものでした。
氷室は、だいたい3mから4mくらいの深さに掘られていました。

ワラの上に氷をのせる、さらにワラやモミガラを周りに入れる、さらに氷をのせて、またワラをのせて… というようにワラやモミガラを断熱材として使用します。
で、さらに、穴の入り口には建屋を設け、雨などの侵入をふせぎます。

こうして冬の間に蓄えられた巨大な氷も、取り出して都に運ばれたときは、両手でかかえる程度の大きさに小さくなっていたようです。

さて、氷室はなんと“官営”で、「延喜式」に管理方法が明記されています。
主に近畿地方(大和・山城・河内など)約20ヶ所にあったようです。京都などでは、賀茂氷室町や衣笠氷室町など、氷室があったところが地名として現在に残っている場所もあります。

小刀で、シャコシャコと氷を薄く削り、金属製の碗に盛り、甘いシロップをかけて、さぁ、めしあがれ… よいですね~ 清少納言は「あてなるもの」として他に「水晶の数珠」を例としてあげています。

 わたしが上品だって思うモノはね、水晶の数珠と、金まりに盛ったかき氷よ。

なんて涼やかで美しい表現でしょう。
うわっ 急にかき氷が食べたくなってきました。

甘党向けの話だけではありませんよ。
いける口、の、みなさま向けの話もあります。

 水酒に漬して用ふ (『日本書紀』より)

お酒に氷を入れて飲んでいることがわかります。
お~ 奈良時代の貴族は、オンザロックでお酒を飲んでいたのですねっ
今も昔も、いっしょですなぁ~

そうそう、『源氏物語』にはおもしろい記述があります。

平安時代にも、現在の「お茶漬け」みたいなものがありました。
「湯漬け」「水漬け」というものです。

炊き立てのご飯にお湯をかけてサラサラといただく…
この「湯漬け」は冬に食べるものですが、夏には「水漬け」といって水をかけていただく…

「西川よりたてまつれる鮎」を調理して「大御酒参り、氷水召して、水飯など、とりどりにさうどきつ食ふ」とあるんですよね~

鮎を肴に酒を飲む。
で、氷水でお茶漬けを食べる。
あ~ なんて贅沢でおいしそうなことか。さすが光源氏、やりますよね。

考えてみると、京都って、昔から暑いんですよね。
夏は暑くて冬は寒い。
この寒暖差を利用して、寒い冬にできた氷を暑い夏にいただく、ということで“調和”しているともいえます。

他にも「氷」にまつわるおもしろい話があります。
今も昔も同じだなぁ、というエピソードを紹介しますと…

にゃんたのマル秘ファイルでもおなじみの『小右記』には、

 寛仁二年 五月二十日 不耐苦熱飲氷水

「あつくるしくて耐えられずに氷水を飲みました。」とあります。

『宇津保物語』では、妊娠中の女一宮さん、食事が喉を通らなくて、かき氷ばかり食べてしまった、という記述がみられますし、『御堂関白記』では、「後一条天皇さんたら、かき氷ばっかり食べているもんだから、風邪ひいておなかこわしちゃったやん」と記されています。

暑いと食欲は出ない、で、あっさりした、冷たいものばかり食べちゃう、で、おなかこわしたり風邪ひいたり…

夏のひととき、身分も時空も違うのに、み~んなおんなじようなコトしてるんですよね。

みなさんもご注意ください。
こはにわからの、暑中お見舞いでした。