本日は、コヤブ歴史堂の収録があったのですが、それが終わってから映画を観てきました。
「超高速!参勤交代」
です。
いやいや、思っていた以上に楽しかったです。
もちろん史実に合わないところもありますが、それはまぁ“時代劇”というもの。カタイところは抜きにして、十分楽しめましたから、みなさんも是非、観に行ってください。
さて、もちろんネタバレになってはいけませんので、ストーリーに関しては触れませんので、まだ観てない方も、安心してお読みくださいな。
むしろ、まだこの映画を観ておられない方のための、なんというか参考になるお話しをしてみたいと思うんです。
そもそも「参勤交代」がどんな制度がわかっていないと、この話そのもののおもしろさは半減です。
江戸時代、三代将軍徳川家光は、大名が守るべききまりである武家諸法度に、新しい制度を組み入れました。それが参勤交代という制度です。(1635年のことでした。)
参勤交代、というのは、二字熟語、「参勤」と「交代」の二つから成り立っていて、「参勤」とは、大名が自分の領地から江戸に向かうことで、「交代」とは江戸から自分の領地に帰ることです。
家光は、諸大名を将軍の家来である、と、考え、大名の妻と子どもは、ずっと江戸に住ませました。
いわゆる人質、ということです。
で、大名本人は、一年ごとに、領地と江戸を往ったり来たりさせる、というものです。
大名の妻と子どもは人質として江戸に住ませて、大名は毎年将軍にあいさつに来いっ というわけですね。
徳川幕府の権威を高めながら、大名を統制する、という制度です。
大名たちは、ですから江戸にも「屋敷」を所有していました。
国元と江戸、二元生活を強いられるわけですから、諸大名の出費は大きく、藩財政支出の50%以上が参勤交代および江戸在住の費用となりました。
つまり、幕府が大名を統制する、というのは経済的な負担を与える、ということに他ならず、規模も様式も一定の「規格」が定められていました。
8代将軍徳川吉宗は、参勤交代の制度を再整備した将軍で、10万石クラスの大名ですと、騎馬10人・足軽80人・中間(荷物を運ぶ人夫)150人と定めていました。
(各大名の動向を探らせる“隠密”というのも、実は徳川吉宗がつくった制度でもあるんですよ。)
大名は1万石以上の領地を持つ武士のことですから、最小大名でも、騎馬は1人、足軽8名、中間15名のだいたい25名くらいはそろえないとけませんでした。
ところが、各大名には「見栄」があるので、1万石クラスの大名でも、だいたい倍の人数をそろえるのが普通でしたから、最低50人くらいの行列となります。
ちなみに最大100万石の加賀前田氏の場合は4000人くらいの行列になったようです。
時代劇では、大名行列が通過するとき、人々は「土下座」して通過を待っていて、行列は「下にぃ~ 下にぃ~」という掛け声を出しているように描かれていますが、これはちょっと間違いです。
「下にぃ~ 下にぃ~」の掛け声は尾張藩と紀州藩の2藩だけです。
他の大名家の場合は
よけろぉ~ よけろぉ~
が、一般的でした。そして人々も土下座などしません。道を譲るだけでOKでした。
そしてまた、「飛脚」と「産婆さん」だけは、大名行列の前を横切っても、立ち止まらなくても許されるという“特権”がありました。
「産婆さん」が認められている、というのがおもしろいところですよね。
大名行列は、大名の権威を示すものでもありましたから、基本的に「見せびらかす」というものでした。
ですから「参勤」の場合ですと、出発のときと、江戸に入るときは、行軍速度をめちゃくちゃゆっくり、奴などに毛やりなどをふるわせたり舞わせたりして人々にわざと注目されるような所作をしていました。
みなさんがイメージする「大名行列」がこれだと思うのですが、これは出発と江戸に入るとき、そして街道ごとにある宿場に入ったときだけのことで、移動中はそんなことはしていません。むしろ、隊列も組まず、早歩きで(場合によっては駆け足で)進行していきました。
荷物を運ぶ中間たちも、国元からぞろぞろ連れて行くのではなく、宿場ごとであらかじめ雇っておいて、荷物を担がせる、というケースがほとんどでした。
宿場に入ると威儀を整え、通過すると、はい、さっさと行くでぇ~ と、進んでいくのが大名行列の実態でした。
さてさて、この映画は、“ある理由”で、10日はかかる日程の距離を、わずか5日で江戸に着かなくてはならなくなった大名の話です。
どうやって“超高速”で行くのか、果たして成功したのか? 是非、映画館に足を運んで楽しんで来てください。
え?
ほんとにふつうの倍以上の速さで行った大名行列ってあったのですかって?
実際にあった「超高速!参勤交代」の記録ですが…
加賀前田藩は、江戸まで120里といいますから480㎞の距離をだいたい12泊13日かけて参勤しておりました。
四代藩主、前田光高は、なんと、6泊7日、ふだんの半分の日数で(ふだんの倍の速度で)江戸までいきました。
これが実際にあった江戸時代の「超高速!参勤交代」の記録となっています。