前聖慎んで、法を将来に垂るることを得たり
後昆顧みて、誡めを既往に取らざらんや
前代の聖人たちは、身をつつしんで人の守るべき道を後世に教え諭している。
後世のわれわれは、歴史をふりかえり、過去のできごとから学ばなくてはならない。
「顧みて誡めを既往に取らざらんや」
は、わたしの好きな言葉になりました。
ドイツ帝国の宰相ビスマルクも、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」と言うております。
経験をとくに語る人は多いのですが、どこか自慢であったり… しょせんは個別事象の個別対応。
より多くの普遍的なものは歴史から学ぶのがよい、と、ビスマルクは考えたようです。
ただ、まあ、歴史は「繰り返す」ということは、すなわち歴史から人間は何も学んでいない、ということも同時に示しているわけで、歴史から学べる人はごくごく限られている、ということですね。
『太平記』の序に書かれているこの言葉は、教訓、というより、諦念すら感じます。
「歴史をふりかえってごらん。これから話す物語は、いつかどこかで人類がやってきたことだってわかるからね」と言うているようです。
朝陽犯さざれども
残星光を奪はるる
朝日には星の光を犯すつもりはないが
明け方に残る星は、しぜんと光を奪われてしまう
『太平記』は語ります。幕府の権力者たちは、必ずしも朝廷を軽んじていたわけではないが、荘園では地頭が勢力を伸ばし、もともとの荘園領主はすっかり弱くなってしまった…
守護の地位は重くなったが、国司は軽んじられるようになった…
力がある者は、べつに弱者を退けるつもりはないけれど、そのふるまいによって自然とさらに格差がついていき、そうして排されていってしまうもの。
とめられぬ時勢の流れ、というのは歴史の中では必ずあります。
逆行しようとしても、なんとかくいとめようとしても、しょせんは無理…
歴史の中ではよくみられる光景です。
天目山の武田勝頼、小田原城の北条氏政・氏直、大坂の役の豊臣家…
天地は定まれる主なく
日月に定まれる時なし
挙ぐるに三才あり
強いて三綱あり
之を以て之を謂ふ 如夢幻泡影と
「三才」とは天・地・人。
「三綱」とは君臣・父子・夫婦の道。
定まれる主なし… あっという間に月日が流れる…
日野資朝が処刑されるときの言葉なのですが、ここで語られていることは、『太平記』に貫かれている一つの精神でもあります。
君臣・父子・夫婦… 『太平記』でとりあげられているエピソードの大きな三つのテーマともいえますが、これらはすべて「夢・幻・泡・影」のように儚いものである、と…
蛟龍は深淵の底を保つ
もし浅渚に游べは漁網、釣者の愁へあり
蛟龍は常に深い淵の底に生きている。
もし浅瀬で漂うようなことがあれば、網や釣り針にかかるおそれがある。
大望のある者は、身をつつしんで命をまっとうし、重大な事柄においてこそ功績を立てるべきである。つまらぬことにうかうかと関わり、軽々しく出かけていってはいけない、ということです。
この言葉は、新田義貞の死のときに語られるものですが、『太平記』に限らず、この教訓を守って成功した者、この教訓を守れず滅んだ者、歴史の中ではたくさん見られます。
さて、『太平記』は、足利義詮の死と、細川頼之の登場で
“中夏無為”の代
つまり平和が訪れた、ということで閉じられます。
『太平記』の終わり方…
なんだか、為政者たちの努力で平和がおとずれた(人為によってもたらされた)のではないような終わり方です。
やってきたことすべて無駄、けっきょく、混乱をもたらした人々がみんな死んで、気が付いたら平和になっていました、という感じ…
「太平記には月を見ず」
という評があります。
『平家物語』に比して“月”すなわち情緒や風雅に欠ける、というわけです。
しかし、「太平記には星あり」です。個性のある、オールスターの競演です。
人間模様がおもしろい。