岩波文庫から『太平記』が刊行されました。
は? それがどうした? と、なりそうなのですが… それを記念して…
以前、ちょっとこはにわの子どものころの話をさせてもらったことがあります。
いっしょに暮していたおじさんが、かなりのインテリで、漢文の教養も深く、日本の古典などもそらんずる、という昔の人にありがちな人でした。
家には『史記』や『平家物語』、『太平記』などがズラっと並んでいて、「おじさんの本棚」は、なかなかの威容でした。
小学校の低学年の子どもに、『史記』『平家物語』『太平記』を原文で説明するって、ちょいすごい人だったと思います。もちろん、ちんぷんかんぷんでしたが、「訳」を平易に説明してくれて、小学校の高学年になったころには、「訳」された話がしだいにおもしろくなってきました。
『太平記』、というと、つい子どものころが懐かしく思い出されます。(どんな子どもやねんっ)
『史記』は、逸話的には『太平記』と関わりが深いものです。というか、『太平記』の中に『史記』に関係する話がちょろっと出てきます。
天、勾践をむなしゅうするなかれ
時に范蠡、なきにしもあらず
御醍醐天皇が隠岐に流される場面の話に出てくるのですが(詳細は申しません。これから太平記を読んでみようかな、と、思う方のネタバレになってしまうので。)、「勾践」と「范蠡」の話を『史記』で知っていれば、ぐっとこの話も「深く」楽しめます。
おじさんは、この場面のときに、勾践と范蠡の話もしてくださいましたが、その「脱線」がまた長い。越王と呉王の対決の話、そして「臥薪嘗胆」の話など、どんどん広がる広がる…
日曜日の朝のおひるごはんまで、庭の縁側で日向ぼっこしながらそんな話をほぼ毎週聞いていました。
『太平記』は、いろんな話が出てきておもしろいんですよ。
なんと「聖徳太子」さままで登場してるんです。聖徳太子が、楠木正成の決心を促した、というと大げさですが、そのような場面もあります。
初めて読まれる方は、それがどこのことなのか、ちょっと気にしてみてください。
おじさんの「語り」で印象的なのは、
「桜井の別れ」
でした。
ただ、今から思えば、これは戦前の修身の教科書には必ずとりあげられていたエピソードなので、おじさんの世代は、みんな知っていた話なんでしょう。
楠木正成が、あたかもナポレオンを迎え撃つロシアのクツーゾフ将軍のような、都そのものを囮と罠にする作戦を御醍醐天皇に献策するが退けられてしまいます。
そして子の正行と、今生の別れとなる…
父といっしょに戦うという息子を諭し、
一族郎党、みな永らえて生きよ、生きていつか朝敵をほろぼすのだっ
まさに
花は散る
幹・根は残す
武家の家
です。
正成が正行に、菊水紋の小刀を渡す場面の説明のときには、縁側に腰掛けているおじさんが、庭に座っているわたしに、ぐっと扇子を差し出して正成を模して話してくれました。
いやいやなかなかの気持ちの入れようですよね。
正行の戦いぶりは、少数を率いての(というか兵力差はあきらかに北朝方が有利だったのですが)一撃離脱戦法で、摂津四天王寺と住吉浜の戦いで、山名・細川連合軍を撃退しています。
このとき、正行は、川でおぼれたり負傷したりしている兵を助け、衣服まで調えてやって敵陣にかえしてやっています。
中世の残照を感じさせます。
いったん戦さが決した後は、敵を徹底的には滅ぼさない、身を処する最期の決定は、本人にゆだねてやる…
実に日本的な、という武家の作法と情けが美しく描かれています。
こういう話を聞いて育った子というのは、たとえケンカをしても、仲直りや陰湿なイジメにはおよばぬ精神構造が育つような気がします。(戦前教育を賛美しているのではありませんよ。)
池に落ちた者をそれ以上叩いてはならぬ、というところでしょうね。現代は、ちょっとこの精神を忘れているような気がします。
さて、おじさんに連れられて吉野の桜を見に行ったことがあります。
行ったところは、吉野の如意輪時。
そこにいくまでの間に電車で話してくれたのは
四条畷の戦い
でした。
弁内侍という絶世の美女が、高師直に連れ去られようとするのを正行が助ける、という話があるんですが…
今も昔もこんな話、ドラマではありますよね。高師直が悪役にされちゃう理由の一つでもあります。何度も強調しておきますが、高師直はそんなに悪人ではありません。非常に能力の高い武将です。昔の話は、一方を悪、一方を善、として描くので仕方がありません。
(南北朝期の足利ファミリーは、必ずコヤブ歴史堂のほうでもとりあげたいと思います。)
その美女は、後村上天皇が正行と結婚させようとします。ところが…
とても世に
永らふべくもあらう身の
仮のちぎりを
いかで結ばん
という歌を詠んでこの申し出を断りました。死を決して朝敵と戦うことの表明です。
そんな話を聞きながら、よいタイミングで、如意輪堂にたどりつく。
で、壁板に刻まれた歌をおじさんは教えてくれるわけです。
かへらじと
かねて思へば梓弓
なき数にいる
名をぞとどめる
壁板に刻まれた文字ですが、矢じりで刻んだと言われています。
こうして正行の最終決戦、四条畷の戦いにおもむくわけです。
和歌を矢で記す…
子どもながらにしびれるようなカッコよさを感じました。
みなさんも機会があれば吉野の如意輪寺へ行ってみてください。