細川政元は、たいへん興味深い人物です。しかし、学校の教科書では、ほとんど細川政元およびその専制政治の時代については説明がされません。
細川政元の、「おもしろみ」は、なんといっても、番組でも取り上げたように、
天狗になりたい
と、称して、“修験道”にのめり込んだことだと思います。
女色を断ち、天狗となって空を飛び、地を馬よりも速く駆けめぐりたい、と、それこそ真剣に考えて「修行」していたようです。
ただ、結果そのことによって(女性を退けたことによって)、「後継者」がいなかった、という、武家にあっては異常な事態をまねくことになります。
武家が(貴族もそうですが)、子どもをつくる、というのは、大きく二つの意味がありました。
一つは「家」の相続者の確保。
もう一つは政略結婚の“道具”として。
これは男女関係ありません。他家に嫁に出す、他家から嫁をもらう…
かりに男五人、女五人の子どもをつくっておけば、家督相続者の1名をのぞき、のこり9名は、何らかの形で「他家」との関係を広げる“道具”として利用できます。
従属の証としての人質、逆に相手を従属させるために人質をとるときの外面的口実(息子の嫁にとる)など、人的結びつきの多様な活用が可能となるわけです。
いわば武家の大切な“相続”と“戦略”という手法を放棄してしまっている、というところが「不思議」なところです。
将軍足利義稙を廃した後、赤松政則を味方に引き入れる際、本来なら自分の娘を嫁に出すなどするところですが、出家して尼さんになっていた姉をわざわざ還俗させ、赤松政則と結婚させているのは、子がいなかったからに他ありません。
ところで…
こはにわは、細川政元が、「天狗になりたい」と考えた理由として、ちょっと通説とは異なる、別の理由を考えているんです。
細川政元は、室町幕府の歴史上、家臣が将軍の位を恣意的にすげかえた最初の例で、「半将軍」(将軍も同然の、という意味)とまでよばれた“最高権力者”です。
独裁者がたいてい考えることは…
ちょっと話のスケールが大きくなってしまいますが、秦の始皇帝は、中国統一後、「不老不死」を求めて、仙人の術を体得しようとしています。
結果、始皇帝も明確な後継者を指名せず、後の混乱をまねいたのですが、もし、不老不死となったならば、後継者を心配する必要はなくなりますよね。
有能な政治家であった始皇帝としては、これほどの「ぬかり」はないのですが、ひょっとしたら細川政元も真剣に
「天狗になることができたら(不老不死の身となれば)、後継者なんか不要じゃんっ」
ということに“気づいて”いたんではないでしょうか。
始皇帝も細川政元も、あたりまえですが不老不死にはなれませんでした。
よってどちらも、後継者問題から、滅びる結果となります。
細川政元は、子どもをなすことができず、貴族や遠縁からそれぞれ養子をむかえてしまいますが、当然、これは家臣団を真っ二つに分けて対立させることになり、その争いにまきこまれて、政元は暗殺されてしまうのです。
“魔法使い”としてはこんなに「うかつ」な話はありません。(いや、魔法使いだからこそのうかつだったのでしょうか…)
細川政元が“魔法使い”“天魔”ともおそれられたのにはもう一つ理由がありました。
追放した足利義稙が、北陸地方に脱出、畠山氏や朝倉氏、それから比叡山の支援をうけて、京都をめざして侵攻してきたときのことです。
政元は、
「わたしに逆らうならば、比叡山など燃やしてしまえっ」
と、“比叡山の焼き討ち”を実行しているんです。
このとき、比叡山の伽藍は大部分が焼け落ちたといわれています。
おかげで後年、織田信長はずいぶんと「ぬれぎぬ」を着せられることになりました。
比叡山延暦寺の伽藍を焼き尽くしたのは織田信長だっ
ということされてしまいましたが、信長が延暦寺を攻撃させたときは、あんまり寺塔は残っておらず、小説に描かれているような「大破壊」は信長はやっていません。というか、できません。すでに多くが政元の時代に燃やされていたのですから…
ああ、すっかり洞松院の話から逸れてしまいました。すいません。
赤松家に嫁いだ洞松院さんですが、さすが、稀代の政治家細川勝元の娘にして、“魔法使い”政元の姉だけある、「活躍」をすることになります。
それは…
(次回でようやく細川ファミリー最終回)