新しい道具の時代 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

【 新しい道具の時代 】


日本は南北に細長い島国です。

弓なりに長い島。

西と東では、お天気もずいぶんと変(か)わります。

雨の多さや少なさも、温かさや寒さもちがいます。

すると、そこで育つ植物も変わります。

植物が変ると、それを食べる動物たち、そこで生きる動物たちも変わります。


今から2300年以上前に、西と東の森や林が大きく変わるようになりました。

西のほうでは、東にくらべて、動物たちの数がへってきました。

たいへんです。食べるものがなくなってきました。

イノシシやシカなどの動物が東よりも少なくなってきました。


もちろん、東のほうへうつっていった人たちもいます。

でも、地図などがない時代です。

多くの人はどこにいけば食べ物がたくさんあるのか、わかりません。

どうしよう。

どうすればいいかな。


そんなときに、米作りが伝わりました。

こうやって育てたらよいよ。

こうやったらうまく作れるよ。

と、教えてくれる人たちが、海のむこうから日本にたくさんやってきてくれました。


狩りや漁だけでは暮(く)らしていけない…

そう思っていた人たちは米作りを始めたのです。


生活が変わると新しい道具も増えました。

米作りをする道具は、木でつくられました。


くわ、きね、うす、田げた…

くわは、土を耕す道具。

きねとうすは、とれた米をつく道具。

田げたは、田んぼに入るときに足がしずみにくくするためのもの。


もちろん、今の米作りとは似(に)ているころもあれば、違(ちが)うところもあります。

稲(いね)かりは、穂首(ほくび)かり、と、言って、稲の穂だけをつみとりました。


つみとる道具もありました。

石包丁(いしぼうちょう)です。

お魚とかを切るときに使う包丁とはまったく違います。稲の穂をかりとる道具です。

名前に「石」ってついているでしょう。石でつくられていた道具です。


つみとった稲の穂は、土器に入れました。

それまでの土器は、水を入れて火にかけて、煮(に)るためのものでしたが、「たくわえる」ための壺(つぼ)も土器でつくられました。

これを入れる倉庫(そうこ)もできます。


でも、日本は雨が多い国。

しっ気で、つみとった稲の穂がくさってしまったりカビがはえたりしたらたいへんです。

ですから、この倉庫は、足の部分がたいへん長くつくって、床が地面につかないようにしてあります。

高~いところに倉庫がある。


高床(たかゆか)倉庫です。


ちゅーちゅーちゅー


夜になると、ネズミたちが、つみとった稲をねらいに来ます。


でも安心です。

ネズミたちが、倉庫の柱をのぼってきても、板がついていて、ネズミが倉庫に入れないようなくふうもしています。

ネズミ返し、というしくみも作られていました。


道具が木でつくられたり、倉庫も木でできていたり…

どうやって木を切ったり、けずったりしていたのかな、と、思いますよね。


木をけずる道具も伝わってきました。

木をけずる道具。

先につけられていたのが鉄でした。

石とはちがって、うすくてするどい鉄の刃です。

鉄の刃がついた道具のおかけで、木をいろいろなものに使えるようになりました。


土器も、今までよりも、熱い火で焼くことができて、うすくてかたいものになります。

壺だけではなく、もりつける小さなテーブル。高坏(たかつき)もつくられました。

土器の使いみちもふえました。


食べるものがなくなった…

どうしよう…

豊かな暮らしが続くと人は何もくふうを考えません。

でも、豊かな暮らしができなくなると、人は知恵をしぼって新しいくふうを考えます。

人々は、新しいくふうで、前よりも豊かな暮らしができるようにしていったのです。

こうして新しい時代、弥生時代が始まりました。


人は、きびしく、つらく、こまったときにこそ、知恵と力を出せるんです。


≪くわしい解説≫


気候が変化し、西日本には、葉の表面がつるつるの照葉樹林がふえていきました。

この森林は、下草も少なく、木の実も無く、豊かな森とはいえません。シカやイノシシなどの食料となる動物が減ってきました。

狩りや漁だけでは生活ができなくなってきたのです。

そこにちょうど、米作りが朝鮮半島を経て北九州に伝わります。

稲作、というのは、すれがすぐれていたから広がった、というより、稲作をしなければ食べていけない、という環境にあったから広がった、といえるのです。

米作りが伝わると、同時に、それに関連するものもたくさん入ってきます。

穂首刈りのための石包丁、木製農具、それをけずるための鉄製工具も伝わります。

そうして高床倉庫もつくられ、米食が始まると、きねやうすなども使用されます。

土器も、うすくてかたい弥生土器とよばれるものが使用され、壺、甕(かめ)、高坏など、使いみちにあわせたいろいろな土器がつくられるようになりました。

縄文時代から弥生時代に変った、というのではなく、西から順番に、だんだん弥生時代と変わっていきました。

最初は北九州。次に近畿地方。そうして関東地方… 紀元前3世紀から、紀元後3世紀にかけて、西から順番に弥生時代に変っていきました。

最初に稲作が伝わったことがわかる遺跡が、北九州にたくさんみつかっています。

福岡県の板付遺跡や、佐賀県の菜畑遺跡などがその例です。

木の道具や土器、高床倉庫のあとなどが残っている遺跡は、奈良県の唐古・鍵遺跡や静岡県の登呂遺跡などが有名です。

環境が変わる、植物が変わる、動物が変わる…

豊かな生活ができなくなると、人は、それを何とかしようと知恵をしぼります。

豊かなままだと何もくふうは生まれません。

くるしい、つらい経験が、知恵をみがいて新しいくふうを生み出すのです。