第15回は、フランシスコ=ザビエルでした。
この回までで初めて取り上げたヨーロッパ人です。
ところで、みなさんが学生時代、必ずといっていいほど、お一人、“ザビエル”という、あだ名の先生、いませんでしたか?
わたしが学生時代のときにもおられました。
フランシスコ=ザビエルは、スペインのナバラで1506年に生まれ、1552年、中国の現在の広東省で没しています。
彼が来日した年代は、ゴロ合わせでも有名な「イゴヨク広がるキリスト教」、1549年です。
このことは小学校の教科書でも出てきます。
そこでもイエズス会の宣教師、という説明がされますが、これだけだと、たくさんいる宣教師の一人かな、と、考えてしまいそーですが、とんでもない!
大幹部も大幹部。イエズス会の創始者の一人なんですよ。
で、1549年に来日して1551年まで日本で布教活動をしています。
え… 2年ほどしか日本にいないの? 意外と短いね… と、思われる方も多いと思います。
さてさて、あの、教科書でも有名な肖像画なのですが…
もし、よければ、自分が使っていた歴史の教科書、あるいはお子さんの持っている教科書に出ているフランシスコ=ザビエルの、あの有名な絵をみてほしいのですが…
いくつかのポイントを紹介しましょう。
まず第一に。
この絵は、日本で、日本人が描いたものである、と言うのを知っていましたか?
発見された場所は、大阪の茨木市。1919年に隠れキリシタンだった人が住んでいたと考えられる家から発見されました。現在は神戸市立博物館にあるんですよ。
作者は不明ですが、絵には落款(絵を描いたあとに押すハンコ)があり、これは「壺」ですよね。
「壺」の落款は、狩野派です。で、「漁夫」と署名が書いてあります。
クリスチャンの方ならピンとくると思うのですが、漁夫は、元漁師の聖人ペテロをあらわしています。
そう考えると狩野派の画家に、洗礼名ペテロを持つ人物がいて、これが“ペテロ狩野”こと狩野源助…
この絵の作者と考えられています。
そして第二に。
狩野源助だとすると、描かれたのは1622年以降になります。1551年に日本から出て行った人物の絵が、71年後に描かれているんです…
絶対、本人と似てませんよ! 想像図、に、近いと思います。
第三に。
絵の下の部分。金色のところには、漢字(万葉仮名)が記されているんです。
「さんふらぬしすこさべりうすさからめんと」
ん?? なんじゃこりゃ??? 「さからめんと」は“サクラメント”つまり「秘跡」「神の恩寵」という意味でしょうね。後は名前。つまり、17世紀、フランシスコ=ザビエルの名前は
サン=フランシスコ=サベリウス
と、呼ばれていたことがわかります。
第四に。
この肖像画のザビエルさん。口元から何か文字が出ているのがわかりませんか?
そういや、六波羅蜜寺にある「空也上人像」は、口から発した「南無阿弥陀仏」が仏になったという伝説をあらわしていました。
この絵の、ザビエルの口から出ている言葉も、イエス、イエス、おおイエス! とかでしょうか…
(こんなふざけたこと言うてると、クリスチャンの方に、しまいに怒られますよね…)
ちょっと拡大して読んでみると…
SATISEST DNE SATISEST
う~ん… ラテン語だ… 「十分です。神さま。もう十分。」
神の恩寵を受けて、満足している… そんな意味でしょうか…
第五に。
胸元で、重ねられている手。
けっして、影絵で“鳩”をやろうとしているのではありません。これはイエズス会の祈りのポーズなのだそうです。
で、右手で持っている?のが、「燃え上がる心臓」。信仰への“熱き想い”。
で、そこから、にょんっ、と伸びたイエスの十字架。それを囲むように子どもの顔が三人描かれているようにみえますがこれは“天使”です。しかも顔に直接羽根がはえているという斬新なデザイン。
ちょっとちょっとこはにわ先生、最初にザビエルってあだ名の話をするもんだから、気になって仕方がないんですけど…
あ、そうそう、「頭」のことですね?
こういう話を聞いた人がいるかもしれません。
「あれはキリスト教の修道士がおこなう“トンスラ”と呼ばれる髪型で、けっしてハゲではない。」
実は、この話もちょっと違います。
そもそもトンスラは、髪の毛を鉢巻のように残して剃るもので、サビエルの絵に見られるようなものではありませんし、イエズス会にはそもそもトンスラの習慣は無いのです。
なんせ申しましたように、あのザビエルの肖像画は70年以上経ってから描いた「ザビエル想像図」です。
イエズス会以外の修道士がしていた髪型などを参考にして描いたものでしょう。
スペインなどに残っているフランシスコ=ザビエルの肖像画はすべて髪の毛はフサフサです。
むやみにザビエル、というあだ名をつけるのはやめましょう~
「もう十分…」って、天国でザビエルさんはおっしゃっていると思います。