本日は節分です。
みなさんの中には「恵方巻き」を用意して食べられた方もおられると思います。
わたしも子どものときにいただきました。
食べる方角が決まっていて、そちらの方向を見ながら、いっさいしゃべらず黙って食べる…
何やら昔からある儀式のように思われている方も多いと思いますが、わが家では、1970年からスタートしました。
大阪の「万国博覧会」の年だったからよくおぼえているんです。
それまでは、そんなことはしておりませんでした。
母と叔母が、巻きずしを一本買ってきて、こういうことをすると縁起がよいらしい、と、どこからか聞いてきて始まりました。
節分は、季節の移り変わり目。旧年の邪気を払い、幸福を呼び入れるための儀式です。
実は、そういう節目の日は、お正月でもそうなのですが、神さまに失礼のないよう(血でけがれたモノを隠すという意味で)、昔は「刃物」を用いませんでした。
よって、巻きず寿司を作っても、「丸かぶり」、つまり、切らないで食べる、ということにつながったようなのです。
「恵方巻き」もわたしの子どものときは、明らかにそのような名称ではなく、単に「丸かぶり」と言うておりました。
一方、節分の儀式そのものの歴史はたいへん古いのです。
『続日本紀』の慶雲三年(706年)十二月に「追儺(ついな)」という儀式の記録が初出で、奈良時代の前からスタートしていることになります。
「儀式の内容」がくわしく知れるようになるのは平安時代からで、「追儺」の具体的な方法が「延喜式」に記されています。
方相士(ほうそうし)という、四つ目のお面をかぶった者が、都の鬼を追い出すために、従者をひきつれて「鬼やらいっ」という掛け声をかけながら、赤ん坊の持つ「でんでん太鼓」をふり、バラバラと音を立ててねりあるきます。破魔矢といって、矢を空に放つ、というようなこともします。
ちなみに赤ん坊に「でんでん太鼓」を持たせるのも、邪気が赤ん坊に近づかないようにするためなんですよね。
室町時代までは、鬼を追い払うのに「豆」ではなく、「桃の枝」を使用していたようなのですが、「バラバラ」という音が邪気を払う音、ということから転じて、まくと「バラバラ」音を立てる、いり豆、が使用されるようになりました。(諸説あり。大江山の鬼退治に豆を用いたという説も有力)
「鬼は外! 福は内!」
の、かけ声は、室町時代からです。『臥雲日件録』に記されていることが記録上にみられる最初です。これが15世紀の半ば…
もともと平安時代の貴族(一部の人々)がおこなっていた儀式が、室町時代になって民衆が経済力をつけて余裕を持つようになり、「貴族のやっていること」を自分たちもやってみよう、と、思ったところから広がったようです。
端午の節句、桃の節句(上巳)、七夕、重陽… これらが庶民化するようになるのも室町時代。
さてさて、「恵方巻き」に話を戻しますが、もともとは、「花街」では江戸時代からあった習慣のようなんです。
ただ、太巻きを食べる、というだけで、黙って特定方向を見ながら食べる、というものではなかったようなのですが…
「節分という節目の時期、わざわざようおいでくださいました。でも、刃物が使えないので、料理がよくできません。すんませんが、これでもお食べくださいませ。」
と、出していたのが、一本まるまるの太巻き…
これもまた、一部の人々だけがおこなっていた習慣が、1970年代、高度経済成長の中で多くの家庭に広がったようです。近年は、コンビニでも発売されるようになりました。
コンビニと言えば…
コンビニで最初に「恵方巻き」を売り出したのは、われらがコヤブ歴史堂のスポンサー、ファミリーマートさんである、と、付け足しておきましょう。