スピーチで使える日本史(5) | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

シンプルな言葉は心にしみる…


              決断易 熟慮難      ~徳川家康~

     (決めることは簡単だ。決めるまでの、考えることが難しいのだ。)


みなさんは「談合」という言葉をご存知でしょうか。

この言葉は、現在では、何やら裏取引、というか、ちょっとダーティーなイメージの言葉として用いられているものです。

実はこれ、室町時代の村で使用されていた言葉です。

日本は長く農村社会でした。田畑に引く水の配分をめぐって、村どうし、あるいは同じ村の中で争いがよく起こりました。

そこで、どのように水を配分するか、どういう順で水を送っていくか、これを話し合うことを「談合」と称していたのです。

村では自治がおこなわれ、「寄合」は村の議決機関、というよりも日本の場合は「調整」機関でした。

「寄合」は談合であらかじめ決められたことを追認する、というようなものです。

「寄合」は、村の長などが集うもので、談合で練られた内容を、よし、じゃあ、そういうことで参りますかな、そうですな、と、相互に顔を見合わせて決定、というものでした。


寄合前の談合が難しいんですよね。


家康の出身国、三河国は、室町後期にあっても草深い農業地帯で、村ではこの談合による事前調整と寄合での決定、というのが常態でした。

この時代、武士も農民出身です。三河の兵士たちも、基本的にこの農民体質ですから、家康を中心とする将たちの「話し合い」も、しぜんとこれによく似たものになります。

将たちが談合し、家康が決定(追認)する… 三河軍団の軍議もこのスタイルでした。


軍議は、平土間に将たちが集い、一段高いところに家老が、さらにもう一段上に家康が座って開かれます。家康は、将たちが話し合っていることをじっくりと聞いています。

けっして話し合いの途中で口をはさまない… 比較的自由な討論が認められていました。


ほうほう、なるほど。で、○○はどうじゃ。さっきから何も言うておらんぞ。


くらいの話の向けかたはしたかもしれません。

とにかくじっくり聞いて話の流れを見定めていきます。


一見、まったく対立する意見であっても、本質が同じもの、めざすところが同じものは、第3の案でたいていは決着します。むしろ同じような意見のほうが、根本の部分で違う考え方である場合があったりして、調整が必要だったりします。

この談合の場で、だいたい家康も自分が考えていることが整理されていくと同時に、自分の意見に近いところが出てきたようなところで、ようやく口を開いて、あたかもみんなが決めたものであるかのような体裁で複数の案から選択をくだす…


決めるのは簡単だ。でも、そこまでにたどりつくんがたいへんなんだよなぁ~


という苦労人家康の心の叫びのようなものです。


三河軍団は、談合は長く決定は速い、という体質でした。そしてひとたび決めたことは、一切誰も文句を言わず、家康を中心にしてあとは断固とした行動あるのみ!


決定は速やかに。

そのための選択肢はゆっくりと作成する。


選択肢がしっかりしていれば決定は簡単です。


そして行動を始めたら一切ブレない。


三河軍団の強さの秘密です。