前記事↑に書いたように,改めて“発散”をやった。
封印した感情の。
ノートに書いて。
●責めたい
●駄々こねたい
●分かって欲しい
ていう3つのくすぶり項目について書いたんだけど,そんなかの●責めたいをやってて出てきたのが
「親に粗末に扱われてた」って事実。
と、それへの不満。
例えば
うちでは何故か午後6時50分になるとチャンネルNHKにして天気予報を見るというしきたりがあった。(母親が決めた。父親はいない時間)
その決まりは専制君主制の国の決まりのごとく「絶対」で、
子供(私や姉)が何かの番組を見てる最中でもしかり。
しかも
「ごめんね大事~な天気予報だから変えるね」
とかの断りはなく
「あ、天気予報見なくっちゃ」ピッ
て感じ。
で姉は早々に「諦めて支配側に着く」という屈辱軽減戦略に出たのかなんなのか知らんが、自分も元は被害者なのに犯人(母親)に取りいるように
「天気予報見るぞ」
と何故か威張ってNHKに変えるようになった。
人がテレビ見てるのに無断で、なんなら威張られながら勝手にチャンネル変える。
そんなん、社会の中ではあり得ない行動だろう。
怒られて当たり前の。
誰が見ても失礼な事。
なのにそれが何故かうちでは、
それも何故か子供に対してだけ,
「普通のこと」として通っちゃうんだよなー。
こういう人権蹂躙や権利の侵害が日常化してて、他パッと思いつくのは↓な感じ
●寿司もわさび入りが当たり前で子供はちっとも楽しくない
●小さい頃ラーメン上手に食べられなくて伸びてまずくなるから嫌いだっつーのにラーメン屋連れてかれる
●車酔いして毎回吐くのに車で山に連れてかれる
●何故か髪型選択の自由ない
子供には権利も人権もないのが普通だったのだ。
そして同年齢の中でも大柄な姉が小柄な妹を武力支配しても放置。
これも子供を保護するという義務違反。子供は養育者・保護者によって暴力から守られて当然のはずなのだ、ホントは。だからそんなんは人権侵害のあり得ない現象なのだ。ふつーに考えると。
そう。
普通じゃないのだ。
ノーマル,まともじゃなかったのだ、うちは。
そんなん当たり前のことだけど
いまさら
いやそーなんだけど
昔は,
「そんなことくらいで騒いでたらやってらんねーぜ」
みたいにイキってた部分ある。そんな事の影響を受けるような弱い人間じゃないってことにしたくて。
あとは
「親が育った時代はそーゆうもんだったようだな、時代の変化に着いてけない人間だからああなんか」
と思ったりも。
いや昔だって異常は異常だし、仮にそういう家庭が珍しくなかったとしても、それが子供の人生に悪影響与えないわけではない。
でも
今になって紙に書いてみて、改めて
これ
おかしいよなー
って思ってな。
「粗末にしてる」って言葉が初めて登場した。
そして、
子供を粗末にするなんておかしいよな。
子供を大事にしないなんておかしいよな。
大事にするのが普通だ。
って普通に心の底から思った。
そして、
なんてまともな感覚、
て思った
自分のこと。
そう、それが“まとも”なんだよ。
私が育つ中でずーっと知らなかった“まとも”。
ずーっと
「普通って何だろう」
って思ってたその“ふつう”が、それなんだよ。
(私がずっとなりたかった、でもその内容がなんだか分からない“普通”ってそれのような気がする。よく分からんが)
嬉しいな。
いつの間にかまともな感覚持ってたや。
そーなんだよ、
子供は大事にするのが当たり前だよ。
人間のことは尊重するのが当たり前なんだよ。
それを粗末にするなんてありえないんだよ。
自分はそんな粗末に扱われていい人間じゃないんだよ。とやけに納得。
↓
自分に限らず全子供共通で、粗末な扱い受けていいわけないんだよ。
↓
そんな元子供だった大人も含め全人間、尊厳があって尊重されるべき存在ってことか。
↓
この世に粗末に扱っていい人間なんていない。
ってのが変に腑に落ちた。
(扱いたくなるような心情になることはあるだろうけどそれとは別で)
そーいうことか。
(好き嫌いは別であるけど、もちろん)
(存在としての話)