長崎県内の戦争遺跡~野母崎のレーダー基地跡 | 大東亜戦争ダークツーリズム~星になった彼等を想い声なき声を伝えたい

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亡くなった者は語る事ができない。ならば生きている者が亡き者の思いを代弁するしかない、その思いで戦争遺跡の周知及び戦争被害者の心に寄り添っていこうと思っております。組織や団体は大嫌いな一匹オオカミです。

長崎半島の先端に「野母崎」という岬があります。

 

ここには、標高259 メートルを山頂とする野母崎遠見山があり、もとは、江戸時代に外国船の来航を監視する遠見番所がおかれていた見晴らしの良い場所であります。

 

そこに昭和16年12月より終戦迄、佐世保警備隊所属の海軍の特設見張所が置かれていました。

見張所・・・つまり監視所ですね。

そして昭和20年4月に電波探信所新設工事を行い、高性能で前方を探索できる警戒機乙型(衝撃電波を利用し前方で飛行機を探知)が配置されました

つまりレーダーサイトです。

(旧軍のレーダーサイトについては以前ご紹介した「宮崎県の戦争遺跡編2~都井岬海軍レーダー基地編2」でも触れてますのでご参照下さい)

 

僕はその痕跡を探しに野母崎_遠見山附近の基地跡を探検致しました。

 

 

現在は廃校となった小学校の生徒さんが「昼休みに山に登って遊んでいた」という情報を聞き、だとお手軽な山なのかな~?と思って登り始めると・・・昼休みの時間で登れるか!という急勾配で息は切れ、足場の悪さに転んだりして結構ボロボロになりながらの登山となりました。

 

そして基地跡付近に差し掛かると、人工物の痕跡が見えてきました。

 

建物の跡らしき窪地、円形の窪地、石垣、何かの土台らしきコンクリ塊、地下壕の入り口らしき穴と真ん中に穴のあるコンクリ柱、何かのボルト・・・等々。

 

後で何なのか調べてみると、ボルトは電探の基礎のもよう・・・つまりレーダーアンテナの基礎かと思われます。

 

土台らしきコンクリ塊は電探室の出入り口の蓋のようです。

地下壕の入り口らしき穴は蓋の無い電探室の出入り口のようですが、中に入るのは危険なので外から眺めて終わりました。

 

真ん中に穴のあるコンクリ柱は恐らく回転するレーダーアンテナの軸が出ていた穴の可能性があります。

 

また、円形窪地は良く見ると迷彩塗装が僅かに残っており、内側はコンクリートで固められてます。

恐らく13mm機銃座と思われます。

 

石垣は詰所跡のもよう。

 

最後に、建物の跡らしき窪地は何の建物を指すかは分からずじまいでしたが、当時建てられていた建物は「兵舎 木造三角5 、兵舎付属家屋 木造平屋丙級5」との記録が残っており、そのいずれかなのかも知れません。

 

遠見山頂上にたどり着くと、樺島という島が一望でき、ベンチがありそこでお昼ご飯を食べました。

昼食後、この頂上とその周辺を眺めて見ると、一帯は自然地形にしては違和感ある不自然な凹凸がありまして、どうやら土塁の跡のようです。

推測であるが、陣地間の通路は敵から見えにくくする為や攻撃から守る為に土塁や塹壕にしておく事が多く、この痕跡だと思われますね。

なんせ当時の資料が僅かで、正式な図面も無いので、結局、推測でしか判断できませんでした。

 

この野母崎のレーダー基地施設は終戦後、その役割を終え、最後に施設等を米軍に引渡しを行い、施設の歴史は終了致しました。

 

現在は当然、その跡地を示す案内板等は一切立っていません。

せいぜい、ハイキングでたまに登ってくる人がいる位です。

 

長崎県内はその特有の地形から、戦時中は軍事上の要衝でありました。

しかし、それらの跡はほとんどが放置され、誰も顧みる者はありません。

長崎県・市は原爆どうこう差し引いても、このまま朽ち果てさせるよりも案内板一つでも建てるほうが大事だとは思ってくれないのかなぁ・・・と僕は感じます。

 

世界遺産ばかりに頼って浮かれてばかりなら、その将来は不安ですね・・・。

 

 

訪問時期

2015年シルバーウィーク