長崎県内の戦争遺跡~伊王島に配置された陸軍部隊 | 大東亜戦争ダークツーリズム~星になった彼等を想い声なき声を伝えたい

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亡くなった者は語る事ができない。ならば生きている者が亡き者の思いを代弁するしかない、その思いで戦争遺跡の周知及び戦争被害者の心に寄り添っていこうと思っております。組織や団体は大嫌いな一匹オオカミです。

しばらく中断しておりました「大東亜戦争ダークツーリズム長崎県編」を今回より再開したい思います。

 

長崎県内の戦争遺跡探検は何度も行っておりまして、今回からご紹介するものは、2015年9月にシルバーウィークという五連休がございまして、その休みを利用して訪れた時のものからご紹介致します。

 

今回ご紹介する所はあの世界遺産「軍艦島」のある長崎市南部に向かう途中の長崎市伊王島町地区というにある伊王島という島でして、ここにかつて陸軍部隊が置かれていましたので、その痕跡を探しました。

 

そもそもこの島は伊王島(面積1.31km2周囲7.1km)と沖ノ島(面積0.95km2周囲5.1km)の2つの島を合わせて伊王島と呼びまして、2つの島の間は幅数十mしかなく、2つの島を結ぶために栄橋・賑橋・祝橋の3つの橋が架けられております。

本土からの交通は伊王島港(1丁目)と約10km離れた長崎港との間を旅客船のみでかつては結んでいましたが、2011年3月27日に長崎市本土と伊王島地区(沖之島:伊王島町2丁目)を橋で結ぶ伊王島大橋が開通して陸続きとなりました。

 

かつては炭鉱の島として栄えた歴史もありましたが、閉山後は農漁業を兼業するほのぼのとした島です。

また、島全体が釣りの適地であり、近年では、長崎市近郊のリゾート地として開発が進んでおり、長崎温泉やすらぎ伊王島という天然温泉を備えた宿泊施設が有名でして、長崎港大波止ターミナルから、高速船で19分で長崎市内から直行できるという手軽さもあり、訪問当時(2015年のシルバーウィーク)昼下がり頃、そこを通過しましたが、家族連れで賑わっておりました。

 

そんな伊王島には終戦まで「陸軍高射砲第134連隊_第7中隊中隊本部_照空隊第1小隊第1分隊・電波探知第1小隊」の部隊が配置されておりました。

照空隊とは文字通り空を照らす部隊、つまり敵飛行機が夜間、接近した際は強力なサーチライトで空を照らして大砲で打つ為の部隊、電波探知は現代のレーダー基地と同じものです。

 

そして、照空隊が照らし当てた敵機を打ち落す役割として、第17重砲連隊の28cm榴弾砲4門と10cmカノン砲4門も配備されておりました。

長崎要塞及独立混成第122旅団関係資料によりますと、28cm榴弾砲は北西端の75mピーク付近にマークが書かれており、北東麓に砲座が置かれていたのかもしれません。

どのみち、射撃方向は外海(延長上に五島列島があり、その間の海の防備)となります。

そして10cmカノンも当初は同じく75mピーク付近に外海に向けて配備されていたが、後に大明寺村に洞窟砲台を築いて移し、射撃方向も福田村(福田崎)の方角となったらしい。

 

当時の資料では砲台跡は岬先端では無いようなのだが、下記の県の資料画像によれば灯台に向かう途中の歩道にある・・・が実際行って見ると画像内の囲いは既に見当たらず、どうやら撤去されたような痕跡が見受けられた。

従って、戦跡と呼べる物は今はもう消されてしまったと言って良いと思います。

  

県教育委員会の画像資料より~「第二次大戦中に陸軍駐屯部隊が築いたという円形の野砲台跡が残存している。」・・・なかったよー!!

 

 

しょうがないので観光に切り替え、歴史ある灯台を見学して参りました。

この伊王島灯台、慶応2年(1866)に米・英・仏・蘭の4カ国と締結した江戸条約によって全国8ヶ所に設置されたもののひとつで、明治3年6月、日本で一番古い鉄造洋式灯台でしたが、昭和20年8月9日 長崎原爆の爆風被害のため損傷(灯台の塔部がゆがみました)、昭和29年12月1日 鉄筋コンクリート造に改築。灯塔上部のドームは建設当時のもの。現在の建物は 平成15(2003)年に建て替えられたとの事。

 

現地での案内板もほぼ同じ内容でして、現地で思ったのが、こんなに爆心地から離れていて爆風被害にあったんだ・・・と。

直線でも10キロ以上はあったのにね・・・。

 

また、灯台の下側には、昔、燈台守が常駐していた時代の官舎(宿舎)を改装した資料館がありまして、灯台の歴史や役割についての案内パネルや昔の灯台の部品等の展示がされております。

もちろん見学してまいりましたが、陸軍関係の資料も一切なく、原爆の被害についての展示も無く、特筆すべき事はありませんでした・・・。

 

 という訳で、残念ながら遺構にはお目に掛れませんでしたが、「有事は電探や砲台が配置される場所=平時は眺望の良い景勝地」という皮肉な図式を改めて感じさせられた伊王島探検でした~。