長崎原爆第一報を発した防空壕 | 大東亜戦争ダークツーリズム~星になった彼等を想い声なき声を伝えたい

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亡くなった者は語る事ができない。ならば生きている者が亡き者の思いを代弁するしかない、その思いで戦争遺跡の周知及び戦争被害者の心に寄り添っていこうと思っております。組織や団体は大嫌いな一匹オオカミです。

本日から二日目の爆心地巡りの模様のご紹介になります。


●長崎県防空本部(立山防空壕)

長崎県防空本部は太平洋戦争中、県の防空施策の中心的役割を担うところで、空襲警報が発令されると、県知事ら要員が集まり、警備や救援・救護等各種応急対応の指揮、連絡手配に当っていた場所であり、壕内には知事室や警察部長室、防空監視隊本部などが配置されていました。
原爆投下時、この場所から想像を絶する原爆被害情報第一報を国の防空総本部長官などへ送り、また、それと同時に市外各地に救援救護の手配を指令し、県外にも応援を求めました。
この防空本部跡を公開するにあたり、壕の内外に安全性を確保するための補強工事を行い、当時この場所にいた方の証言や防空本部が果たしてきた役割などを解説パネルにして、ここから発見された現物資料などと併せて壕内に展示しています。
 被爆の実相や平和の大切さを感じていただくため、平成17年11月から見学できるように整備したものです。


 補強工事のために取り除かれた通路仕切り壁の一部を標本として展示しています。
当時は木材の外側にモルタルを塗って壁が造られていました。


○永野若松長崎県知事の証言(長崎県警察史下巻より抜粋)

 皆を知事室に集め、「それでは」と言いかけたところに、佐世保市長の小浦君が来て、室に入れたら、「広島はエライことになりましたね」という。
「今、ちょうど、そのための会議を始めようとしたところだ」と言った途端に、電灯が消えた。
壕の外に出て見た。
遥か向こうの浦上方面一面が、真黒な煙に包まれ、赤い火の手はまだ見えなかったが、濛々として大火事となっており、ずっと高いところまで雲のような煙が立ちこめていたのである。
しかし、眼下の旧市内にはまだ何事も起こっていない。
 室に帰ると、すでにドンドン警察の報告がきていた。
ピカッと光って大きな爆音が聞こえ、広島の新型爆弾らしいものが落ちたが、管内の被害は軽微、人畜に死傷はなく、全壊家屋もない。
硝子窓はみな割れ、半壊家屋は若干あったが、概ね小破損の程度だという。
しかし、よく考えて見ると、それはその筈であった。
警察電話が通じ、すぐ報告できるような警察署からの第一報が、被害軽微、人畜に死傷なしとしてくるのは、もとより当然のことであった。
 しかし、ある程度のことは、爆発直後すぐに、つぎつぎと判っていった。


 これは1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下時、この防空本部にいた県知事の証言です。
ここは爆心地から約2.7キロメートル離れているため、爆心地の状況がすぐには把握できず、初めは被害軽微としていましたが、その後、浦上地区一帯(爆心地周辺)の詳細な情報が入ってくるにつれて、甚大な被害状況を国の防空総本部長官などへ送りました。


ご利用案内
開壕時間午前9時30分から午後5時まで
閉壕日毎月第3火曜日(祝日の場合はその翌日)
※但し、点検等による臨時休壕があります。
入壕料無料
アクセス長崎歴史文化博物館横長崎市立山1丁目
路線バス:「桜町公園前」バス停下車、徒歩7分
「市役所前」バス停下車、徒歩10分
路面電車:「桜町」電停下車、徒歩9分
「公会堂前」電停下車、徒歩11分

問い合せ先被爆継承課被爆資料係
〒852-8117 長崎市平野町7番8号(長崎原爆資料館内)
TEL 095-844-3913
FAX 095-846-5170

見学者は次のことを守って入壕してください
※ 壕内でのつまづき、スリップには十分注意してください。
※ 壕内では飲食、喫煙、落書き、集会など一般見学者に迷惑になるような行為は一切お断りします。
※ ゴミの持ち帰り運動にご協力ください。
※ 展示物には破損の恐れがあるため手を触れないでください。
※ 現地にはトイレがありません。近隣の公衆トイレをご利用ください。



この防空壕には管理人さんがおりまして、少しの間お話しさせて頂きました。
管理人さんは実は被爆経験者という事で詳しいお話しを伺う事ができました。

その中で印象に残っていた話しが、昨年横浜の中学生の修学旅行で平和学習で被爆者語り部に対し「死に損ない」という暴言を吐いた事件について、僕はひどすぎるとの見解だったのですが、管理人さんは「語るほうもあまり上から言うから・・・」とおっしゃって少し意外でしたね。
子供達を責めるのではなく、戦争を知らない興味無い子供に戦争を伝える難しさと、周囲の教師・親等の大人の問題・・・という視点を持たれていて、子供達には優しい視線でいてくれている事に対して目からウロコの気分でした。

また、前日、城山小学校内の資料館に行った際、受付のおばちゃん(後てお話しを伺ったら被爆者でした)が丁寧に説明されているのに子供達の反応の薄さが目についたので、その事を話したら「ここにもそういう子達は来ますが一人か二人は真剣に聞いてますよ」と言われまして、またまた目からウロコが落ちました・・・。

ちなみに私の持論は、原爆の悲惨な写真を自主規制する事なくドンドン子供達に見せてトラウマにさせるべきという、私自身の原体験に基づいております。

戦争は綺麗事では無いし、戦争を知るという事は現実の戦争の実態を知らないといけない事なのです。

被爆写真や映像は刺激が強いからと子供達に見せなくて、ソフトな内容の被爆体験記だけ子供達に読ませて、修学旅行ツアーにセットになっている語り部の話しを聞き、教師から千羽鶴と感想文強要される今の学校の平和教育なんて典型的な「綺麗事」であり、中身が空っぽの「平和アピール」でしかないのです。
そんな生ぬるい事では平和の尊さや戦争の悲惨さなんて分かりっこない・・・なんて少々荒い持論なのですが、今回、被爆者の方から上記のようなお話しを伺い、感慨深い気持ちになりましたし、どこか気負っている僕の心が少し軽くなった気がしました。

本当はもっとお話ししたかったのですが、この日も一杯予定が詰まっているので名残惜しつつも防空壕を後にしました・・・。