伊勢大神楽を金岡神社境内で見る 2025年10月4日(土)

 

 今日は、朝から雨が降っています。公園の花に水やりをしなくてもよいので、少し安心です。昨日は、母宅で、入浴サービスの業者が来てくれて、母はお風呂に入れて貰うことができました。

 6月末~8月末までの2ヶ月間の入院後、母の家での介護は、一ヶ月が過ぎました。毎日3~5回ほど、母宅へ通うのは大変です。母は寝たきり状態ですが、マンションで一人住まいです。ヘルパーさんが3回、看護師さんが2回、我々が3回と、一日に8回のお世話と見守りがあるので、病院で入院をしている時と同じように、手厚く看護は続いています。また、訪問医療の先生が、週に1度、往診に来てくれます。薬は、先生が処方したものを、薬局の方が家まで届けてくれます。食事は、我々が毎食持って行くようにしているのですが、あまり食べないので、看護師さんが、朝10時ごろ点滴を付けに来て、また夕方外しに来てくれます。殆どの栄養は、点滴から得ている状態です。

 最近、ケアマネジャーさんや、訪問診療の先生が、家族の毎日の見守りは大変なので、しばらくまた入院されますかと、聞いてくれています。母は、絶対にいやだ、家の方がよい、と返答をしているのですが、見守るわれわれ家族は、身動きが全く取れない日々が続いています。訪問診療の先生とは、前からの顔なじみで、先生と同じ山登りが趣味だと知ってもらっています。「季節のよい秋に、山登りにも行けないのは、大変でしょ。ちょっとしばらく再入院されて、家族さんがリフレッシュされたらどうですか。」と、声をかけて下さっています。今の所、寝たきりなのですが、大きな病状の変化がなく、緊急入院というような状況になっていないので、なかなか再入院のきっかけがないというのが現状です。我々の今のリフレッシュは、毎回の食事の世話に行く度に、10分ぐらいずつ母宅の断捨離整理を隙間で進めていて、それが唯一、気持ちの安定を保っていて、気をまぎらわせています。現在、母宅の半分程度の整理が進みました

 

 探路巳249 家~金岡神社 今日は、金岡神社の境内で行われた、伊勢大神楽を見に行きました。1時30分から90分の予定でしたが、丁度開始の頃に雨が降り始め、20分ほどして雨が小降りになってきてから、始まりました。昔、自分が小学生の頃、60年程前、家の近くの酒屋さんの前に、獅子舞が来ていたことを覚えています。それ以来、本当に60年ぶりに再会したことになります。

植物は、ユッカの写真を撮りました。

虫は、アゲハの幼虫の写真です。

その他生き物は、ヌマガエルです。

 

仮想研1064 伊勢大神楽  今日は、金岡神社の境内で行われた伊勢大神楽を見ました。伊勢大神楽について、ネットで情報を調べてみました。

 「伊勢大神楽講社の大神楽師は、一年中を旅の空で過ごします。現存する五つの家元(太夫)は、元旦からそれぞれの檀那場へ赴き一年を掛けて西日本を中心に諸国を巡ります。十二月、伊勢大神楽発祥の地である三重県桑名市増田神社にて行われる祭礼に合わせて旅から戻り、再び大晦日には檀那場へと赴くのです。ここでは本部である山本勘太夫社中の一年の旅を紹介します。獅子舞を舞いながら諸国を巡り、かつては伊勢神宮、現在では伊勢大神楽講社の神札を頒布してまわる神楽です。江戸時代、庶民の最高の娯楽は“お伊勢参り”でした。伊勢は天照大御神が鎮座する地でありながら、土産物屋や遊郭がひしめきあい、そこには現代の厳かな姿のお伊勢参りとは全く違う、庶民による娯楽と信仰の世界が広がっていました。神宮の代参人でありながら、娯楽芸能の形を遺した放下芸や萬歳(まんざい)を今に伝える伊勢大神楽講社はその江戸期のお伊勢参りの姿を現代に遺す”歩く重要文化財”と表されます。

 伊勢大神楽講社には古来より八舞八曲の十六演目の神楽が伝承されています。大神楽師は八つの獅子神楽・八つの放下芸を修得する芸能者でありながら、その根幹は450年以上にわたり家々の竈祓い・神宮の代理参拝人の役を担う旅先の村々で続けられる信仰者としての姿にあります。江戸時代まで伊勢大神楽講社の大神楽師達の身分は神職身分(増田神社社人)でした。桑名の大神楽師達は諸国の大名達と強い師檀関係を築き、全国に檀那場を築きました。桑名市には現在でも各藩の通行手形・往来手形に加え、江戸幕府より授かった神道裁許書・伊勢神宮祭主からの神道免許の署名である祭主下文などが保管されています。」(伊勢大神楽講社)