昨年も今年も9月16日が最終猛暑日 2025年9月21日(日)

 

 今日は日曜日。いつものように、母宅へ3回、食事の世話に行きました。夕方、洗濯物が多くあったので、洗濯機をかけて帰り、夜8時に、もう一度母宅へ干しに行きました。

 午後からは、ホームセンターに買い物に行き、自分の秋用のパジャマを買いました。今、着ている夏用のパジャマを捨てて、新しい物に着替えようと思います。まだしばらく夜の気温が下がりきらないので、夏用を着ることにします。

 手帳のウイークリーページの記録を見直して、今週一週間のイベントを確認しました。(月)自治会からお赤飯が配られる、(火)郵便局の保険申請に行き母の入院費用を申請、(水)母の訪問診療の主治医と話をする、(木)あびこ~昭和町駅を歩く、高齢の親戚の方がなくなりお通夜は遠慮して家から手を合わせる、(金)歯の定期検診に行く、大阪市立中央図書館から難波まで歩く、(土)昭和町~谷町九丁目駅まで歩く、(日)ホームセンターで秋用のパジャマを買う、というようなことに取り組みました。少し、行動的に活動が出来たかなと思います。

 今週火曜日、9月16日が、今年の最終の猛暑日になると思われます。35.5度でした。昨年2024年も、同じ9月16日が大阪の最終の猛暑日で、35.5度でした。昨年も、今年も暑かったということです。その猛暑日以降の気温を見てみると、30度前後の日がしばらく続き、その後10月に入ってすぐには、最高気温が24度という日も現れるように変化していきました。お彼岸が過ぎると、一気に気温が下がります。

 

 探路巳236 管池 今日は、朝散歩に行きました。午後から歩きに出かけなかったので、今日のフィールドワークは朝散歩だけでした。体調的には朝散歩に出かけた方が、一日の体調は良いようです。今日は天気が悪く、朝5時に出発をすると、暗い中を歩いて朝散歩が終わりました。

植物は、イネの写真を撮りました。朝5時に朝散歩出発なので、まだ暗く、野草の写真を撮ることができません。

 

 仮想研1051 おくのほそ道 松尾芭蕉のおくのほそ道の句を、筆文字で書き始めました。仮名文字が混じっている小筆文字は、これまで作品として書いたことがないのでとても不安なのですが、下手でも50首を最後まで、小作品として書いてみようと始めました。今は、03「あらたふと青葉若葉の日の光」を書きました。ネットで「おくのほそ道」について、情報を調べてみました。

 「元禄2年(1689)3月27日〜9月6日 芭蕉46歳。

 元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸の各地をめぐり、8月20日過ぎに大垣へ着くまでの、距離約六百里(約2,400キロ)、日数約150日にも及ぶ長旅である。旅の目的は、歌人能因や西行の足跡を訪ね、歌枕や名所旧跡を探り、古人の詩心に触れようとした。芭蕉は各地を旅するなかで、永遠に変化しないものごとの本質「不易」と、ひと時も停滞せず変化し続ける「流行」があることを体験し、この両面から俳諧の本質をとらえようとする「不易流行」説を形成していく。また旅をした土地の俳人たちとの交流は、その後の蕉門形成や、紀行文『おくのほそ道』に大きな影響をもたらす。『おくのほそ道』は随行の曾良が旅の事実を書き留めた『曾良旅日記』と相違があり、芭蕉は文芸作品として執筆している。和漢混交文の格調高い文章でまとめられ、芭蕉の紀行文としては最も長編で、かつ質的にも生涯の総決算的な意義をもつ。書名は文中の「おくのほそ道の山際に十符(とふ)の菅(すげ)有(あり)」の地名による。芭蕉自筆本、素龍清書本、曾良や去来へ伝えられた本があり、去来の本を元に刊行された版本がある。」(芭蕉翁顕彰会)