今年のロングトレイルのコースを歩き始める 2025年5月22日(木)

 

 昨日は、今年の歩きコースを思いつき、今後の歩く目標を持つことが出来ました。もう一度、書いておきます。①家~吉野山(50㎞)、②家~高野山(70㎞)、③家~和歌山城(60㎞)、④家~奈良東大寺(40㎞)、⑤家~京都御所(70㎞)、⑥家~箕面の滝(35㎞)、⑦家~須磨公園(55㎞)、です。家は堺市の中百舌鳥です。それぞれ、電車沿いを歩くことにします。合計380㎞です。家からどんどん離れて、例えば東海道を歩くとか、日本縦断をするとかも考えられるのですが、お泊まりをしながら歩き続けるのは考えていません。植物や、虫や、鳥の観察をしながら、毎日家に戻って記録をするという生活がいいなと思っています。それでも、一年間で、鹿児島から北海道の距離ぐらいを歩いています。7㎞×300日=2100㎞です。

 

 探路巳130 天王寺~森ノ宮 今日は、昨日考えついた今年のロングトレイルのコースの中の、⑤中百舌鳥~京都御所(70㎞)を歩き始めることにしました。7~9月の間は、暑くて長距離を歩くのは大変なので、5・6月の間に、少しずつロングトレイルのコースを歩き始めることにします。

 まず、⑤中百舌鳥から京都御所までを、どのようなコースで歩くのか考えました。これまで、大阪から京都へは、京街道や、淀川沿い、西国街道、などは歩いているので、今回は京橋駅から学研都市線沿いに松井山手駅まで歩き、次に、木津川を東へと渡り、近鉄京都線ぞいに北へ、さらに京都へと歩こうと考えました。

 家から天王寺駅までは、いつでも歩くことができるので、今日は、天王寺から森ノ宮駅の間を歩きました。環状線の外側に沿って猫間川筋という道があります。かつて、上町台地の東側沿いに北へと流れていた猫間川が暗渠になり、その猫間川跡が道になっているようです。河川跡なので、適当にカーブを描きながら進む道です。天王寺駅近くに河堀口(こぼれぐち)という駅があります。河堀口という地名は、猫間川に関係するようです。

 「河堀口という地名は、788年(延暦7年)に和気清麻呂が上町台地開削工事を行った際に、掘り開けた堀川の入り口である「河堀」の「口」に由来すると考えられます. 「河堀」は、猫間川の辺から西へ庚申街道から茶臼山の南、河底池に達するまで掘られた洪水対策用の堀です.」(グーグルAI)という説明がネットにあり、猫間川が出てきます。

 今回は、天王寺~河堀口駅~鶴橋~森ノ宮駅の区間の猫間川跡にそって歩くことができました。森ノ宮駅から北の猫間川跡は、森ノ宮車両基地内になるので、辿ることはできないのですが、おそらく第二寝屋川に合流していくのだと思います。

植物は、エニシダ、イヌホオズキ、ウサギアオイ、カナリークワヨシ、カンナ、キリンソウ、クロコスミア、ケイトウ、ゴモジュ、タイサンボク、デュランタ、ナデシコ・ミーテ、ハコネウツギ、ヒマワリ、マツバギク、マンデビラ・サンデリ、メリケンガヤツリ、モッコク、ラムズイヤー、ロベリア、などの写真を撮りました。

虫は、セスジスズメ、の写真です。

 

 仮想研930 猫間川 今日は、天王寺~森ノ宮駅間の、猫間川跡の道を歩きました。猫間川について、ネットで情報を調べてみました。

 「百済川に対して高麗川(こまがわ)と呼ばれていたのが、訛って猫間川になったといわれています。阿倍野区高松の地に端を発し、源ヶ橋を通り上町台地の水を集めながら、生野区の猫間川筋(川筋は昭和7年(1932年)に下水道工事で道路になっています)から東成区・城東区とJR環状線に沿って流れ、森之宮の砲兵工廠の西北端で平野川に合流していた長さ4.5キロメートル、川幅約10メートルの川です。

 流域面積が少ないことから、降雨により一時的に水量を増すことはありましたが、平時は流量も少なかったようです。このため舟運の便も悪く満潮を利用して小舟で物資を運んでいました。大坂の陣では真田幸村とともに猫間川がよく登場しますし、兵糧を搬入したことが記されています。

 天保8年(1837年)に幕府は、舟運の便を図るため川底を浚渫しました。このときの川浚えの土砂でできたのが寝駒堤といわれ、堤に植えられた桃・梅などの花見や紅葉狩りで賑わう大坂の名所の一つだったそうです。また浚渫を記念して玉造稲荷神社に石碑が建てられています。現在は埋め立てられJR西日本森之宮電車区の一部になっています。」(大阪市)