イネ科の花粉アレルギーがひどい 2025年5月17日(土)

 

 今日は、土曜日です。朝から雨が降っていて、午前中はフィールドワークに出られません。家族のお誕生日のお祝いとして、今日、昼食を食べに行くことにしました。堺駅近くにある「梅の花」に行きました。昼過ぎは混み合うと思ったので、11時30分ぐらいに行きました。受付で、「予約はされていますか」と聞かれて、していませんと、伝えました。予約をしてから行った方が良かったかな、と思わせるような空気感がありました。料理はとても美味しかったです。

 

 探路巳125 中百舌鳥~大和川北側河川敷~あびこ前駅(7.4㎞) 朝から雨が降っていたのですが、「梅の花」で昼食をして帰ってくると雨が上がりました。そこで、午後2時頃から、歩きに出かけることにしました。また雨が降ってくると、直ぐに地下鉄に乗れるように、御堂筋線沿いに北へと歩きました。大和川を渡る頃には太陽の陽射しが出てきたので、大和川河川敷に降りて、川沿いを西へと歩くことにしました。西風がとても強くて、虫たちの姿が見られませんでした。また、イネ科の植物から飛ぶ花粉で、目の周りがとてもかゆくなり、さらに、くしゃみが出て、呼吸もしんどくなるほどでした。花粉アレルギー予防の薬を飲んでおくとよかったなと、後悔しました。しばらくの間、イネ科の植物が多い場所は、避けるようにしなければいけないなと思います。

 夕べからの雨で大和川の水量が増え、流れも速くなっています。ヌートリアが、河川敷の道近くまで上がってきていて、姿を見ることができました。

植物は、ネズミムギ、セイヨウヒキヨモギ、アカツメクサ、セイヨウカラシナ、アメリカオニアザミ、サツキツツジ、ヤマボウシピンク、イヌマキ花、ハナズルソウ、ヒルザキツキミソウ、などの写真を撮りました。

虫は、モンシロチョウ、クマバチ、の写真です。

鳥及びその他生き物は、イソヒヨドリおす、ムクドリ、ドバト、ヌートリア、カタツムリ、などの写真です。

 

 仮想研925 ヌートリアについて 大和川のJR阪和線と南海高野線の鉄橋の間の北側河川敷には、ヌートリアが数匹、生活をしているようです。水量が平常時には、川を泳いでいる姿を見かけるのですが、雨が降った後などの水量が増えて、流れが速くなっているときは、河川敷の遊歩道沿いに上がってきています。時々、虫の写真を撮っているとき、目の前にいて、びっくりすることがあります。ヌートリアについて、ネットで情報を調べてみました。

 「ヌートリアは、南アメリカ大陸原産の大きなネズミです。おもに水辺で生活し、よく泳ぎ、時には潜水もします。一方で、よく陸にも上がり、住宅地を歩いていることもあるそうです。日本へは毛皮用・食肉用に持ち込まれ、第二次世界大戦中や戦後に日本各地で飼育されていましたが、毛皮需要の落ち込みとともに野外に放されました。その多くは消失しましたが一部が定着に成功しました。岐阜県や岡山県には古くから定着し、その後周辺に分布を拡大しました。現在では、静岡県以西の本州に広く生息しています。また、瀬戸内海のいくつかの島(兵庫県の淡路島、香川県の小豆島など)にも分布しています。関西では、兵庫県(武庫川など)や京都府(由良川)などに、比較的古くから生息していました。

 おもに草食ですが、淡水の大型二枚貝(イシガイ類)も捕食します。希少なイシガイ類の捕食、およびイシガイ類に産卵する希少なタナゴ類への影響が懸念されます。また、田畑の作物を食べて農業被害も引き起こします。そのため、特定外来生物に指定され、駆除が行われています。その一方で、各地で餌付けされており、人との関わりの多い動物です。本来は夜行性ですが、給餌を受けるからか、昼間に活動する個体も普通に観察されます。また、人を恐れない個体が多く、とても近づくことができます。

 大阪府では、2000年に枚方市と大阪市旭区の淀川2ヶ所で初めて確認されました。当初は、淀川本流のみだったのが、2000年代に、猪名川水系を含む、淀川水系の支流に広がり、能勢町や豊能町の山間部でも観察されるようになりました。2010年代前半には、大阪市内や中河内の河川でも広く見られるようになり、大和川より北でヌートリアが記録されていないエリアは、茨木市・高槻市の北部のみとなりました。それ以前も噂はあったのですが、大和川水系での確実な記録は、2014年が最初です。その後、大和川の支流にも拡がり、石川や西除川、さらにその支流にと分布を拡げています。

 2021年には堺市の石津川水系、2022年には岸和田市の春木川でも記録されました。泉南地域での記録は、2000年代後半から時々ありましたが、いずれも単発の記録で、証拠写真がなく、誤認の可能性がありました。2022年の岸和田での記録は、継続的に観察されており、確実な画像があります。いよいよ大阪府南部にも進出しはじめたと言っていいかもしれません。」(大阪市立自然史博物館)