アカシゾウ・明石原人の発見場所 2024年11月5日(火)

 

 三連休が終わり、今日から世間は仕事が始まります。3日間、遠出はしなかったので、今日は前回歩いた舞子駅~中八木駅の続きを歩こうと思います。午後2時過ぎには帰るようにしようと思ったので、朝からのいつもの掃除時間は取らないで、早めに出かけることにしました。

 遠出のフィールドワーク(ロングトレイル)は、一つは、須磨から姫路までのできるだけ海沿いを歩くコース、二つ目は、吉野から和歌山までの川沿いを歩くコースを、進行しています。三つ目は、榛原から伊勢神宮までの街道を歩くコースも準備しているのですが、こちらはまだ動き始めていません。そろそろ、三つ目の伊勢街道コースも並行して動き始めるようにしようと思います。

 一つ目の須磨から姫路までの海沿いコースは、予想以上の綺麗な海岸沿いのコースでした。今後また、歩きたい道です。

 二つ目の吉野から和歌山の吉野川・紀ノ川沿いの道は、五条駅~吉野駅の山沿いの道は歩き終えているので、これからは、紀ノ川沿いの道を歩くことになると思います。和歌山線を使うことになるのですが、電車の数が少ないので、交通面では難しいコースです。

 三つ目の榛原~伊勢神宮までのコースは、全て地図(一回10㎞前後)は印刷済みなので、それを持って出発するだけです。そろそろ紅葉も綺麗になると思われるので、歩き始めようと思います。

 

 探路266 中八木駅~東二見駅(6.7㎞) 今日は、須磨~姫路までのロングトレイルの3回目のフィールドワークです。前回の舞子駅~中八木駅から続く、中八木駅~東二見駅です。この2回のフィールドワークのコースは、ほぼ全て海岸沿いを歩くことができ、とても素晴らしい歩きコースでした。

 途中に、アカシゾウの骨格の発見場所、明石原人の骨の発見場所などの表示がありました。今日は世界津波の日でした。海岸沿いを歩いている時、訓練の津波警報がスマホから鳴り響き、訓練とは知らなかったので少しびっくりしました。

植物は、シロバナサクラタデ、ノブドウ、オオイタビ、ヤブマオ、クコ、リュウキュウアサガオ、コセンダングサ、ウチワサボテン、などの写真を撮りました。

虫は、ウラナミシジミ、チャバネセセリ、の写真を撮りました。

鳥は、ヒドリガモ、ユリカモメ、ウミウ、ダイサギ、ジョウビタキ、ハクセキレイ、イソヒヨドリ、などの写真を撮りました。

 

 仮想研732 アカシゾウ、明石原人について 今回、中八木駅から歩いた海岸沿いのコースには、アカシゾウの発見場所、明石原人の発見場所の掲示板がありました。これらについて、ネットで情報を調べてみました。

 「昭和35年(1960)12月26日、中学生が八木海岸の崖でゾウの牙(きば)の化石を発見しました。その後、一人で同所から多数の骨の採集に努めました。これらの骨は大阪市立自然史博物館に寄贈され、同館が昭和41年(1966)に発掘を行い、ゾウの全体骨が揃いました。これをもとに復元された骨格標本の複製が明石市立文化博物館に展示されています。現在では、アカシゾウはアケボノゾウと呼ばれています。」(明石市立図書館)

 「明石市西八木海岸で見つかった人の腰の骨の一部で、明石人骨と呼ばれています。実物は昭和20年のアメリカ軍による空襲によって焼失してしまったため、東京大学に残されていた石膏型をかたどりして作りました。この明石人骨は、昭和6年に、博物館の南西約8㎞にある明石市の西八木海岸で発見されました。発見者は後に早稲田大学の教授になった、古生物学者であり考古学者でもある直良信夫さんです。明石人骨について直良さんは、旧石器時代の古いものだと考えていましたが、当時はまだ日本に旧石器時代があったのかどうかさえ、わからなかった時代でしたので、この人骨は評価が定まらないまま、戦災で失われてしまいました。戦後になって明石人骨は原人段階の古いものであるとの説が発表され、日本最古の化石人骨として「明石原人」の名で教科書にものりましたが、その後の研究できわめて新しい人骨との説も出され、現在も論争が続いています。明石人骨はいったいいつの時代の人類の骨なのでしょうか。明石人の正体をさぐる研究はこれからも続きます。」(兵庫県立考古博物館)