新家駅から山中渓駅間の熊野街道を歩く 2024年3月10日(日)

 

 今朝はいい天気なのですが、気温が1度まで下がっています。寒い朝です。昼真は10度を越えるようです。今週から、昼間の気温は10度越えの日が続くようになるので、一気に春めいてくるのでしょう。最近少し寒い日が続き、フィールドワークに出かけるのに気力が必要でした。

 朝からブログアップをして、昨日の悠遊探路を仕上げて、英語の本読みをしました。昨日は、自治会しごとをしていたので、英語の本読みが出来ませんでした。英語本読みの後、公園愛護協会の書類を投函しに行きました。84円を、15円×4+10円×1+7円×2と、7枚切手を貼りました。また、会長宅へ、総会資料配付後の残りの資料を持って行きました。

 

 探路062 新家駅から山中渓駅へ熊野街道を歩く 今日は11時に家を出て、南海高野線、JR阪和線に乗って、新家駅へと行きました。電車の乗り継ぎが良く、11時56分には新家駅に到着しました。

 新家駅から少し北東へと歩いて熊野街道に入りました。このあたりの熊野街道は、すでに2度歩いているので、安心コースです。地図を見ても風景をイメージすることができます。熊野街道に入ってしばらく進むと、熊野街道信達(しんだち)宿地域を歩くことになります。紀州街道信達宿本陣跡、常夜灯の灯籠、信達宿梶本家の野田藤などが見られます。昔からの日本家屋が多く残るこの地域を一人で歩いていると、信州の山中の街道を歩いているような気になってきます。数時間のフィールドワークなのに、一人旅に出た気分です。JR阪和線の海側だった熊野街道は、JR和泉砂川駅近くを過ぎてからJR阪和線の下をくぐって山側を進みます。さらに和泉鳥取駅のすぐ横を通るあたりから山が近づいてきます。いよいよ和泉山脈を越える坂道になります。今は、自動車道の横の歩道を歩くのですが、昔は山道を歩いていたのでしょう。山中渓駅近くは、山中宿の風情を残している地域があります。観光客が歩いていました。山中渓駅周辺はサクラの名所なのですが、まだ少し時期が早いようでした。

植物は、タガラシ、ナルトサワギク、セイヨウカラシナ、シレネカロリアナ、ネモフィラマクラータ、フチベニベンケイソウ、スイセン、カンサイタンポポ、サンシュユ、モクレン、ノダフジ、などの写真を撮りました。

虫は、セイヨウミツバチ、です。

地質は、和泉層群、です。

観察地・通過地点は、新家駅、信達宿、山中宿、山中渓駅、です。

 

 仮想研492 熊野街道について ネットで熊野街道を調べてみました。「京都から大阪を経て、熊野権現の分霊を祀った九十九(つくも)王子をたどりながら、熊野三山へ至る道が「熊野街道」です。平安時代中期から鎌倉初期にかけて王朝貴族を中心に熊野信仰が盛んになり、中でも、後白河(ごしらかわ)上皇は34回、後鳥羽(ごとば)上皇は28回も行幸(ぎょうこう)したと言われています。やがて、武士や庶民にまで信仰が広がり、大勢の人々がこの街道を往来したことから「蟻の熊野詣」と呼ばれました。熊野街道沿いには王子社が祀られていて、熊野九十九王子を巡拝しながら参詣が行われていました。

 熊野街道の信達宿は、和泉南部においては最も栄えた宿場(しゅくば)町のひとつであり、現在も見られるように、街道沿いに家々が建ち並ぶ様は、当時の熊野街道や信達宿の様子を実に良く伝えています。時代とともに町並も変わりつつありますが、本陣(ほんじん)跡、旅籠(はたご)跡、常夜灯(じょうやとう)が残り、昔の宿場の様子をしのぶことができます。古い家屋は、入母屋(いりもや)造りで妻入(つまい)りのものが多く、街道に面して間口が狭く、奥が深いのが特徴とされています。」と、書かれていました。

 中之島近くの渡辺津から南へ続く熊野街道を歩くと、大阪府内ではこの信達宿のあたりが、昔の街道の様子が一番感じられる地域です。信達宿あたりは、泉佐野市で分岐した紀州街道と熊野街道が合わさっていて、紀州街道と熊野街道の両方の表記が見られます。