難波宮趾を初めて訪れる 2024年2月8日(木)

 

 今日は、昨日よりさらにお天気が良いようです。今週は月曜日から少しずつ気温が上がってきて、来週の火曜日には17度にもなると予想されています。やはり暖冬のようですが、過ごしやすくていい感じです。今日の朝は2度程度なのですが、昼間は11度まで上がるようです。

 

 探路036 難波宮・大阪城へ行く 今日は、午後から歩きに出ることにしました。歩き始めた時は、大和川の川沿いを歩こうと考えていたのですが、かなり冷たい北風が吹いているので、急遽変更して、難波宮と大阪城へ行くことに変更しました。

 玉造駅で電車を降りて、難波宮へと歩きました。難波宮は、これまで周辺は度々歩いているのですが、中を歩いたことはありませんでした。今日は、その難波宮を歩いて遺跡を見学しました。平城京ほど整備がされていないのは残念ですが、大極殿のあった場所が分かるように復元されていました。

 ネットから難波宮について学ぶことにします。「難波宮(なにわのみや)は、現在の大阪市中央区法円坂町・馬場町・上町の一帯にありました。難波宮は、孝徳天皇、天武天皇、聖武天皇などの宮殿の総称です。大化元年(645年)の難波遷都から延暦12年(793年)頃の廃絶まで、約150年間の皇都でした。飛鳥時代と奈良時代の2つの時期があり、飛鳥時代の宮殿を「前期難波宮」、奈良時代の宮殿を「後期難波宮」と呼んでいます。後期難波宮は、奈良時代の726年から聖武天皇が藤原宇合に命じて、前期難波宮と同じ場所に建設されました。当時の聖武天皇の本拠は平城宮だったので、出来上がった難波宮は副都だったと考えられます。難波宮の廃絶後は、長らくその場所が分からなくなっていましたが、1954年から故山根徳太郎博士が発掘調査を始め、1961年には後期難波宮の大極殿を確認するにいたりました。現在は、国指定史跡となり、公園として活用されています。」と、書かれています。

 難波宮を見学した後、大阪城のお堀でカモ達の観察をして、梅園の中を通りました。ウメはかなり咲いていました。

鳥、動物は、マガモ、カルガモ、マルガモ?、ヒドリガモ、ヨシガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ、ハシビロガモ、オオバン、ヌートリア、などの写真を撮りました。 

植物は、オウバイ、ヒメキンセンカ、タイワンモクゲンジ、イスノキ、ウメ、ロウバイ、などの写真を撮りました。

観察地・通過地点は、玉造駅、難波宮、大阪城、豊国神社、梅園、天満橋駅、です。

 

 仮想研461 中学生に負けない日々の学び 朝からいつものように、ブログアップと、昨日の悠遊探路を仕上げて、その後、ペン字と、英語の本読みを7ページ進めました。お隣のお子さんは、昨年4月から中学生です。今年4月からは2年生、来年は3年生です。3年間経つと、高校に進級します。子ども達は、中学校の3年間で、かなりの量の学習をします。自分も、お隣のお子さんの学びに負けないように、まずは3年間の学習を進めたいと思います。最近は、朝5時から11時までの6時間は、学びの時間と考えています。午後からはフィールドワークです。その朝の6時間は、中学生の一日の6時間分の学びに負けないように、進められたらいいなと思います。そう考えると、英語の40分間ほどの本読みも、中学校の英語学習のように、かなりしっかり集中して学びを積み上げるように進めたいなと思います。かつて、こぎつね小学校、その後、こぎつね大学、短大、女子大、教育大などの先生をしていたので、1時間の学習の密度は分かっています。学習時間あたりの密度を考えながら、日々学び続けられると、3年間で少は進歩するはずです。今は、取り敢えず、「中学生の学習に負けないように学び続けること」を目標にしようと思います。休憩は、中学生と同じく50分につき10分とします。