上賀茂神社(加茂別雷神社)に参拝 2024年1月10日(水)

 

 大阪の1月4日~10日の間の日の出時刻は、7時6分台でした。11日からは7時5分台になり、これから少しずつ日の出時刻が早くなっていきます。今が一番、日の出が遅い時期です。日の入りは、12月の上旬が一番早かったので、1月になると、すでに夕方の明るい時間が長くなってきているのが感じられます。

 今日は午後から雨になるということなのですが、少し前から京都へ行く計画を立てていたので、予定変更をしないで行く事にしました。親戚から頂いた株主優待の京阪電鉄の乗車券使用期限が今日までだったので、無駄にしないために先延ばしができません。

 いつものように5時に起きて、先ずコーヒーを淹れます。そのコーヒーを持って2階の書斎に行き2つのブログアップと、昨日の悠遊探路を仕上げました。朝のこの時間は自分の生活の中で、一番大切な時間です。この時間が規則正しく実行できると、毎日の生活がリズムよくできているといえます。

 

 探路010 上賀茂神社に行く 朝9時過ぎに家を出て、淀屋橋駅10時発の出町柳行きの特急に乗りました。出町柳駅からはバスに乗り、上賀茂神社まで行きました。午後3時には、家に戻りました。

 

植物は、ナナミノキ、タラヨウ、シャシャンボ、の写真を撮りました。

観察地・通過地点は、出町柳駅、上賀茂神社(加茂別雷神社:かもわけいかづちじんじゃ、細殿、楼門、本殿、片岡社、ならの小川)、京阪四条駅、です。雨が降っていたので、バスで移動しました。

 

 細殿の前の立砂について調べてみました。「盛砂(もりずな)とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔ご祭神が最初に降臨された、本殿の後二kmにある円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので、一種の神籬(ひもろぎ)(神様が降りられる憑代(よりしろ))である。鬼門・裏鬼門のお砂を撒き清めるのは此の立砂の信仰が起源で、「清めのお砂」の始まりである。」ということでした。

 片岡社には、紫式部がお参りされ歌をよんだということです。「片岡社(かたおかのやしろ)は、京都市北区にある上賀茂神社の境内摂社です。縁結びの神様として有名で、御祭神は賀茂別雷大神の母君である玉依比売命です。源氏物語の作者である紫式部が参拝した神社としても知られています。紫式部は片岡社にちなんで「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」という和歌を詠んでいます」と、解説がありました。

 境内にがありました。「境内には名水「神山湧水」が湧き、御物忌川(おものいがわ・祭器具を清める川)と御手洗川(みたらしがわ・身を清める川)、2つの川が合流した「ならの小川」が流れています。水には罪穢れを祓い清める信仰があり、上賀茂神社はどの方角から境内に入っても、本殿にたどり着く前に必ず川を渡るようになっているのだそうです。」と、解説がありました。

 

 晴れていたら、上賀茂神社から、京都植物園を通り、下賀茂神社を参拝して、出町柳駅から帰るつもりだったのですが、雨だったので、上賀茂神社からの帰りもバスに乗りました。出町柳駅から上賀茂神社へ行った時のコースの、帰りのバスに乗れば良かったのに、違うコースのバスに乗ってしまい、延々と長い時間乗って、京阪四条駅へと行きました。途中で降りれば良かったのですが、佛教大の前で学生達が乗り込み満員になり、阪急大宮まで動けない状況でした。仕方なく、京阪四条まで乗ることになりました。

 

 仮想研432 上賀茂神社について 上賀茂神社について情報をネットで調べてみました。「上賀茂神社(賀茂別雷神社)は、京都市北区上賀茂本山にある神社です。正式名称は賀茂別雷神社で、賀茂氏一族が賀茂別雷大神をお祀りしたのが創建と伝わっています。上賀茂神社は、7世紀末にはすでに有力な神社となり、平安時代以降は国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めました。11世紀初頭までに現在に近い姿に整えられましたが、その後神社の影響力が衰え、17世紀初頭にはひどく衰微しました。1628年に再興され、現在は神社本庁の別表神社となっています。古来より厄除・災難除け・必勝の神として信仰されています。境内全域が世界遺産「古都京都の文化財」の1つに登録されており、国宝2棟、重要文化財41棟を有しています。」と、書かれてありました。

上賀茂神社は通称で、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)が正式名称でした。なお、下賀茂神社も通称で、正式名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)です。