住吉街道、熊野街道、庚申街道を歩く 2023年9月15日(金)

 

 今日は、堺北図書館へ行く日です。午前5時30分に家を出発して、6時前に図書館の返却ボックスに本を入れて、さらに北へと歩きました。今日は、アイスコーヒー(お茶の代わり)と、着替えを持ちました。最低気温が27度なので、朝から、真夏並みに暑いです。遊歩628 家~天王寺駅 です。

 長居公園まで北向きに歩き、長居から西へと曲がり、住吉街道を住吉大社へと進むことにしました。永らく歩いていないコースです。途中、二股の分かれ道があり、右側へと進んだのですが、広い通りに出たときその通りには、信号がありませんでした。そこで、グーグルマップを見直すと、二股分かれ道から左へ進むのが住吉街道のようなので、少し南へと歩き、修正してさらに西へと向かいました。住吉大社の少し手前で、住吉街道は、熊野街道と交差をします。今日は、住吉大社でお参りはしないで右折して、熊野街道を北へと進みました。万代池の横を通り、阿倍王子神社、阿倍晴明神社を見ました。安倍晴明神社で、熊野街道を離れて東へとしばらく歩き、いつもの庚申街道に出て再び北上し、地下鉄天王寺駅に到着しました。今日は、住吉街道、熊野街道、庚申街道を歩きました。

帰りに、図書館に寄って、次の本を借りました

 ①斎藤孝『斎藤孝先生が選ぶ 高校生からの読書大全』東京堂2022

 ②メイソン・カリー『天才たちの日課』フィルムアート社2014

 ③田中泰延『会って、話すこと。』ダイヤモンド社2021

植物は、コミカンソウ、ナガエノコミカンソウ、ツタバウンラン、アオツヅラフジ、ホシアサガオ、マルバルコウソウ、リュウキュウアサガオ、メドーセージ、ヒガンバナ、リコリス、ネムノキ、アスクレピアス、カラミンサ、などの写真を撮りました。

虫は、アオドウガネ、ヒメエグリバの幼虫、アゲハ羽化(こぎつね研究室)、などの写真を撮りました。

 

 仮想研315 阿倍野区の街道及び通りの名前 家に帰ってグーグルマップを調べると、天王寺へと歩く北向きの道それぞれに、名前が付いていることを知りました。府道30号線の一つ東側の北向きが吉野筋(あべの王子商店街アーケード道の西側筋)、もう一つ東側が中道筋(あべの王寺商店街アーケードの道)、さらに、阪南町西通り阪南町中通りとありました。いつも、吉野筋や中道筋を、よく歩いているのですが、今日は初めて、阪南町西通り、阪南町中通りを少しずつジグザグに北へと歩いて、辻調理師専門学校の手前でいつもの庚申街道に合流し、天王寺駅へと到着しました。「吉野筋」が気になったので、大阪市阿倍野区のホームページを調べてみました。

 「阿倍野区を地図で見ますと、碁盤の目のように整然と大小の道路網が張り巡らされています。南北に2本と東西に4本の幹線道路がそれぞれ区内を貫き、さらに北西から東南の方向へ高速道路が急カーブを描きながら、延びています。古くから、当区関連道路としては、熊野詣や住吉行幸などで知られる熊野街道(阿倍野街道)をはじめ、江戸時代に参勤交代の行列が通った紀州街道、四天王寺南門から北田辺へ抜ける庚申街道、奈良街道から東住吉区に出る下高野街道が南北に走っていました。これに対して東西に走るものとして、天下茶屋から田辺に入る天田街道(天下茶屋街道)、阿倍野から南田辺に至る阪口街道がありました。このほか、明治・大正時代に住宅が増加したために吉野通・北畠通・常盤通・旭通・明治通・相生通・松虫通などがつぎつぎと造られましたが、いずれも曲りくねった狭い道でした。

 これらが近代的な道路に生まれかわったのは、大正時代から進められた都市計画事業によるものでした。すなわち大正10年から昭和17年にわたって実施された第1次都市計画事業では、御堂筋ほか24路線の新設・拡張工事が進められ、以後、第3次にわたって実施された結果、市内の道路は見違えるほどに一新されました。さらに昭和45年の万国博覧会をピークに、御堂筋線、築港深江線ほか幹線道路建設は飛躍的な進展をみせましたが、52年からは石油ショック以後の不況対策として公共事業が拡大されたため、幹線道路中心から歩行者道や自転車道、バス道路など生活関連道路を含む幅広い展開をみることになりました。」

 なぜ、「吉野筋」というのか、解決はしませんでした。しばらく、気にしておくようにします。