『ジム・ボタンの機関車大旅行』を読む 2023年7月16日(日)

 

 今日は、日曜日。自治会の蚊の防除薬剤の配布です。今年の会長は、一人で準備をきちんとされる人なので、私は行くだけです。各班長さんが、ペットボトルに溶かした防除薬剤を取りにこられて、散布し終わった後、返却されに来られる間の30分間ほど、雑談をしていました。これも大切な自治会しごとです。連携は大事です。今後の、連合主催の運動会や、お赤飯の配布について、相談をしました。薬剤を取りに来られるのが少しだけ遅い班長さん宅に、一カ所配達をしました。

 次は、今日は父の7回忌で、親戚が集まり食事会をします。あべのハルカスのレストランで予約をしているので、12人が集まります。とても暑い日ですが、高齢の母を連れていかなければいけません。多分、日曜日なので、阿倍野周辺の駐車場は混み合っている予測がつくので、地下鉄で行くことにします。

 娘の家族が、17日(月)と思っていたらしく、集合時刻に来ませんでした。電話を入れると、一時間後に合流しました。食事は家でしてきているので、デザートから合流しました。なんとか無事に、全員が集まることができました。いろいろお土産物の交流があるので、遅れてでも合流できてよかったです。

 

 仮想研256 ミヒャエルエンデ『ジム・ボタンの機関車大旅行』 を読み終えました。1960年、ミヒャエルエンデは、最初この本を絵本として書き始めたのですが、10ヶ月かけて500ページもの長い物語になってしまったということでした。『ジム・ボタンと13人の海賊』を合わせて出版のために10社以上もの出版社を回って、やっと1社(ティーネマン社)から、正・続2巻に分けて出版できることになりました。1巻目が出ると、たちまち子ども達の大歓迎を受けて、エンデは、処女作でドイツ児童図書賞と、国際アンデルセン賞を獲得しました。劇場で上演されたり、テレビの人気番組になったりもしました。その後、1973年『モモ』、1979年『はてしない物語』を書いています。

<年譜>を調べました。

1929年11月12日 - バイエルン州のガルミッシュ=パルテンキルヒェンで生まれる。

1961年 - Jim Knopf und Lukas der Lokomotivführer (日本語訳:『ジム・ボタンの機関車大旅行』)がドイツ児童文学賞をとり、生活が安定。

1964年 - 8歳年上のインゲボルク・ホフマンと結婚。イタリア移住。

1973年 - Momo (日本語訳:『モモ』)完成。

1974年 - Momo で二度目のドイツ児童文学賞受賞。

1977年 - 初来日。能・歌舞伎を鑑賞。禅僧と対談する。

1979年 - Die unendliche Geschichte: Von A bis Z (日本語訳:『はてしない物語』)完成。

1985年 - 妻インゲボルク・ホフマン死亡(享年63。ミュンヘンに戻る。周囲にドイツ語を話す人がいなくなったことが帰国理由。

1989年 - 「エンデ父子展」のため再来日。『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚

1995年8月28日 - 胃癌のため、フィルダーシュタットで生涯を閉じた。65歳没。葬儀はミュンヘンのキリスト者共同体で執り行われた。

 

 今回読んだ『ジム・ボタンの機関車大旅行』は、とても素晴らしいファンタジーの大作でした。しかし、まだ半分です。続きの『ジム・ボタンと13人の海賊』も、読もうと思います。『モモ』は読んだことがあるのですが、子ども達が、小学生の頃に、このような素晴らしい大作を読むという経験をすると、本当に賢く育つきっかけになるなと思いました。自分は、こんな素晴らしい大作を子どもの頃、読んでこなかったことを、今頃になって後悔しています。

 日本には、このようなファンタジーの、子ども用長編物語がないなと思いました。諸外国に負けている文化面の一つだと思います。このあたりが、創造性の少ない日本の小中学校教育にも表れているのだろうと感じました。